日記#48

先日、京都で友人に会った。
会うのは実に一年振りだったけれど特に緊張もしなかったし、それより京都の街並み死ぬほど平和だなの方が気持ちの大部分を占めていた。

この友人というのは便宜上友人という呼び方をしているが実に変な縁がある人で誕生日が1日違いだったり、何も示しを合わせていないのにシミラールックコーデになったり望んでいない形の波長の合い方をする。

基本的に人と付き合うときは自分と相手のズレが気持ち悪ければ気持ち悪いほど愛せる。気が合うというのはどちらか、またはどちらもがモノマネをしているにすぎないと思う。
けれど、その変な友人はモノマネせずとも波長があってしまうのでその合うことに対するズレがきっと好きで居心地がいいのだと思う。

そんな彼女と話していて自意識の壁というものについて改めて認識させられた。
一人でおしゃれなカフェに入れない、公衆喫煙所でタバコを吸えない、自撮りをSNSにあげれない、ハロウィンやクリスマスといった行事に対して斜に構えてしまう、etc...
こういった自意識の壁はそれはもう分厚く巨人なんて一向に進撃できない。(進撃してくれよ。破壊して俺のウォールローゼ突破してくれよ。)

だが不思議なものでそれを共有して笑い合えることがとても嬉しかったし心が楽になった。
きっと私は自意識の壁を壊したいのではなく同じく壁を持つ人たちのことを知れるのが嬉しいのだ。壁の材質、高さ、なにか落書きがしてあるのか、ありったけのその人がそこにいるように感じた。

きっとこれからも私は彼女の壁に触れることはなくともそれを見てしあわせな気持ちになるのだろう。この気持ちを忘れたくない。

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