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教職大学院のカリキュラムを考える

 一度、投稿掲載したのですが、再度、文章を修正する機会があり、再掲します。

 ゼミ生に、他大学の大学院を受験した学部生がいます。彼は、教員になるのですが、研究者教員を養成する大学院の修士を受験しました。教員になるのに、なぜ、教職大学院ではなく、研究者養成の大学院に入りたいのかを考えました。教職大学院で教えている私にとっては、自分たちには何が欠けているのか、何が足りないのかを考えさせられる機会となったのです。

 教職大学院では、学校現場の問いと答えに向き合ってきました。多くの現場で取り組まれている実践は、問いが間違っています。だから、答えも必然的に間違っています。教職大学院では、学校現場で現在行われている実践とは、対抗するような全く別の実践を示すことで、学校現場が何に囚われているかを学びほぐします。脱学習を経て、新たな実践の展望をひらこうとするのです。新たな展望は、新たな問いを持つことでひらかれてきます。教育課程・授業研究分野では、新たな問いをもって実践をしている学校現場の教員に出会わせるようにもしています。

 でも、教職大学院では、教師が自らの実践に問いを立てる問題定立の方法を学べません。一方、研究者養成の大学院は、問題そのものを生成することを学びます。両者とも「なぜ」と院生に問うのですが、「そもそも」と論理の枠組みを疑い、本質を深めようとする「なぜ」ではなく、教職大学院は、根拠や理由を問う「なぜ」を考えさせているにしかすぎないのではないか。教職大学院では、いま学校現場が直面している問題を解決していこうとする方法は教えてはいますが、何年か年月もかけ、学校現場にいながら問題を発見する方法は教えきれていないという自覚を迫られました。教職大学院を修了して現場に出たときではなく、教職大学院を修了してから10年後にも生きてくる方法を、教職大学院では学べるのかを問われたのです。

 後期のコースワークカリキュラムから、院生と一緒に具体的なカリキュラム改善をしながら、問題を発見する方法を探究したいと思います。

 

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