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日々読書‐教育実践に深く測りあえるために

長瀬拓也『長岡文雄と授業づくり‐子どもから学び続けるために‐』黎明書房、2022年。
 
 「○○さん」と〈この子〉の立場で考えることが学級をひらき、授業をつくる時には欠かせない。学習内容を「こなす」のではなく、子どもたちを「見る」ことや「(共に)つくる」ことが必要であると本書は指摘します。
 
 子どもたちが何を考えていたか。子どもたちのよさを見つけようとしているか。子どもたちがお互いのよさを見つける関係を求めているか、と子どもの内面を丁寧にとらえ、そこから学びに結びつけていく営みが必要である。その上で、長岡文雄は、子どもの切実な問題は何かを考え、「いかにして学習を〈この子〉から出発させるか」と、一人ひとりの学びを大切にして授業を展開したと本書は指摘します。
 
 教材を「伝えたい」という思いが強すぎて、子どもたちの意識から乖離してしまうことがある。そのため、教材を通して、教室の子どもがどのように考えを広げていくかをとらえることが大切である。藤岡信勝は、授業づくりにおいて①学習内容(何を教えるか)、②教材(どういう素材を使うか)、③教授行為(子どもにどのように働きかけるか)に加えて、④学習者(それによって子どもの状態はどうなるのか)といった4つの問題領域に区別するべきとし、ときに「『学習者』レベルを独自の研究の対象として設定する」ことで、「教師の思い込みを正す機会を得ることができる」としている。本書でも、「クラスのあの子ならどんな反応をするのかな」「この子なら、授業でどんな意見を言うのだろうか」と考えて、教材研究の視点に、子ども理解を入れることで、教材研究はより具体的になり、自分の思い込みを正す機会をえることができると指摘している。だからこそ、藤岡さんが指摘した「教師の思い込みを正す機会を得る」とは具体的に何を指すのかが知りたくなりました。
 
 長岡文雄は、次のようにいう。子どもをとらえることは教師が人間として子どもに学ぶことである。「子どもを理解する」ということは、「子どもをとらえなおす」ことでありたい。今までの教師のとらえ方では理解できないような子どものあらわれを大切にし、子どものイメージをえがきなおすとともに、教師の評価の尺度を吟味したいというのである。長岡文雄は、授業の中で①その子の考えの核になっているもの、②授業においてゆり動かせる契機になっているもの、③相互学習で考えをもり上げられるものを座席表にメモしていったという。そして、子どもの考えをさぐり、その子に対する教師のとらえ方を修正し、座席表を発展させたと本書では指摘しています。

 子どもたちは、教師がまったく予想もしていなかったことを発言することがある。教師自身が立ち往生することもある。しかし、長岡文雄は、この立ち往生をチャンスととしてとらえ、教育の根本を追究するものだとしている。「なぜこの子はこんなことを言ったのだろう」「この子の意図は何だろう」と考え、「この子の問いを授業に生かせないか」と前向きに受け止めることが欠かせない。とくに、思いがけない発言をした子が「なるほど、そうか」と「分かる」ための道筋を考え、さらに、その子のひっかかりをクラス全体の問題につなげていくことで、言葉に出せなかった子もまた理解が深まると本書も指摘しています。

 本書では、教材研究に子ども理解の視点を入れることで、教材に対する教師の思い込みを正す機能が、子ども理解にある点を指摘するとともに、子どもをさぐり、教師の子どものとらえ方を修正する機能を、教師の子ども理解に重要となる点を指摘しています。さらに、「何でも教師に言ってくる子どもたちを持つこと」と、長岡文雄が子どもの助言を大切にしている点を指摘しています。長岡文雄は、教師が人間として立派に生きていれば、子どもたちも、教師に対して、素直になり、「先生、わかりません」「先生、きょうのはおもしろかった」「先生、もっとこうするとよくわかると思うけど」というように反応して助言してくれるという。子どもたちを抑え込むわけでもなく、逆に好きにさせておくわけでもなく、教師とともに歩み、「先生、もっとこうしたらいいと思う」と教えてくれる子どもたちを持つことを大切にするのである。本書は、子どもたちの声を参考にしながら、自らを磨いていくことは教師として大切にしたい資質の一つであるという。さらに、子どもたちが授業のあり方に要求することは、子どもたちにとってどんな意味があるかを考えてみたいと思いました。

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