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日々読書‐教育実践に深く測りあえるために

 久田さんは、「学びの共同体」論と「学習集団」論との対比的考察によって、それぞれの論の到達点と課題を提起しています。
 学習集団論に残された課題は、三つ指摘されています。一つには、同一性に収斂される方向をどうとらえるかという課題です。たとえば、発問による対立・分化と問答・討論によるその統一も、教師の用意した科学知へと同化させる傾向が強いと指摘します。二つには、身体的な相互応答が子どもの表情=身体をみる教師の独我の世界に回収されかねない点です。三つには、教えによって学びを誘発するというあり方を学びの地平からさらに問い直すという課題です。教師の教えによって惹起される学びは、教師に囲われた学びになりやすいというのです。
 「学びの共同体」論は、「学習集団」論の課題に対して、次の点を示唆していると指摘しています。一つには、差異を尊重した「交響」を強調し、多元的で複数的に生起する共同体像を提起している点です。二つには、自己の経験の類推から子どもの表情を読み取ることの主観性と教師の受容的で共感的な「まなざし」に時に胚胎する暴力性を回避する点です。ケアリング論の基盤にした「声を聴く」という実践方略に着目しています。三つには、授業を共同探究型へと転換させる際の教師の重要な指導として注目されている、「聴く」「つなぐ」「もどす」活動でに着目しています。
 「学習集団」論にあった「授業づくりの当事者性」という概念から、「学びの共同体」論の課題も浮かび上がると言います。「学習集団」論では、「教師にとって抵抗にさえなるような集団的自主性をその教師自らの手で育て上げる」あるいは「教科内容にたいして、その科学性を改める仕事に、子どもたちが日常的、批判的、改造的な授業の協力者としてたちあらわれる」と強調されていました。
 「学びの共同体」論は、子どもたち自らが声を紡いでグループを多様に編成したり、聴き合う関係のあり方も当事者同士の対話と合意の対象にしたりすることがないと指摘します。「声を聴く」と「聴き合う」の基盤にケア論はあっても、「自治」の視座がないというのです。さらに、教科内容の真理性を当事者として問いただす学びという点で弱さをもっているというのです。
 
久田敏彦「学習集団論からみた『学びの共同体』論の課題」日本教育方法学会編『教育方法43 授業研究と校内研修 教師の成長と学校づくりのために』図書文化、2014年、62‐76頁。

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