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言葉にならないヘルプをもつ子どもの期待に応える教師になる

 延岡市長や九州保健福祉大学学長、延岡市教育委員会教育長、さらに高校生56名も見つめるなかで、学生インターンシップに参加した12名の学生が語り合うミーティングを参観した。本学からも教職実践基礎コース2年生2名と大学院生1名が参加している。4つの大学から学生が参加している。

 ミーティングでは、たくさんのエピソードが語られた。エピソードは、自分自身をさらけ出すので、エピソードに含まれる自分を承認してもらえる関係が必要となる。エピソードは、相手の世界に関心をもち承認する他者がいる場に参加することで、これからの自分自身を支える経験が蓄積されていくものとなる。そういう関係と場が2週間という短い間で構築されていたことに、驚いた。

 ミーティングでは、「個性」、「成長」、「学びの本質」、「多様性」など実践を経験しながら考えてきたキーワードもたくさん出された。中には、「気分屋」という概念で子どもを否定的に見るのではなく、「どうしちゃったんだろう」と子どもを理解しようとする子ども観を表現するものもあった。教育という営みを、教育観や学校観、子ども観といったものの見方・考え方には届かない単なる体験で終わるのではなく、経験を学びにするような、教育実践が見えてくる装置が、キーワードの機能にある。「こう」考えたと示し、「なぜなら」と理由を述べ、「たとえば」とエピソードを語ったあとに、「というのも」と、「観」に迫ることができていれば、多くの学生が持論を語れたのかもしれないなと思った。

 ミーティングでは、「授業に参加しない子どもは、なぜ学校に来るのか」という問いにある、既存の学校に子どもを適応させる学校観ではなく、子どもに合わせて既存の学校を変えるにはどうすればよいか、と問う、学校観や教育観の転換を語ろうという声も出された。「教師は、学校や学校教育そのものを子どもたちとつくり変えていく当事者である」という学生からの宣言であった。子どもとともに、自分自身や授業や学校を変えることができるとき、言葉にならないヘルプをもつ子どもの期待に応える教師になっていく。授業も、子どもが見えてくると、子どもとともに変えることができる。日々新しくなる自分に出会い、学校や授業を変革していく主体になる。12名の学生にある現実を変革していく可能性に、エールを贈りたい。

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