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日々読書‐教育実践に深く測りあえるために

佐藤学『新版 学校を改革する 学びの共同体の構想と実践』岩波ブックレット1078、岩波書店、2023年。

 学び共同体は、学校全体を持続的に改革するデザインである。
 
 学びのイノベーションは、三つある。

 一つには、カリキュラムが「プログラム型」ではなく、「プロジェクト型」である。〈目標‐達成‐評価〉の活動単位によって単元が組織されるのではなく、〈主題‐探究‐表現〉の単元によって組織されたカリキュラムである。プロジェクト型では、学びの経験の「意味」が追求され、その「価値」が質的に評価される。

 二つには、一斉授業から協同的な学びへの転換がある。教師が黒板を背にして教卓を中心に立ち、生徒が個々に前を向いて教師の説明と発問を受け、板書をノートに写すという一斉授業の様式から、1・2年生は円座を組んで座るかコの字型配置による協同的な学び、小学校3年生以上は男女混合4人グループの協同的な学びによって授業が行われている。この授業と学びの様式の「静かな革命」にともなう教師の役割も①学びの課題の〈デザイン〉、②生徒たちの探究と協同の〈コーディネーション〉、③学びを観察し的確に判断する〈リフレクション〉の3つが中心となっている。

 三つには、学校の機能の変化である。学校は、教師が教育の専門家として学び合うところになり、地域共同体の文化センターの役割を担っているという。

 21世紀の学校は、①グローバル市民の形成を目的とし、②平等公正な教育を掲げて学びのイノベーションを推進し、③探究と協同の学びで学習者中心の授業を推進し、④教師は教える専門家へと移行し、⑤教職専門性の開発を学校経営の中心に設定している。学びの共同体の改革は、それらに加えて、①子どもたちが学びの主人公・主権者となって一人残らず学びの権利を実現していること、②教室にケアの共同体を実現し、一人も独りにしない学びを実現していること、③聴き合う関係による民主主義を実現し、対話と協同のコミュニケーションを実現していること、④〈共有の学び〉(教科書レベル)と〈ジャンプの学び〉(教科書を越えるレベル)で学びをデザインし、質の高い学びを実現していること、⑤教師同士が教室の事実を学び合う同僚性を構築していること、という特徴を有していると佐藤学さんは指摘する。

 学びの共同体の学校は、子どもたちが学び育ち合う学校であり、教師たちも教育の専門家として学び育ち合う学校であり、さらに、保護者や市民も学校の改革に協力し参加して学び育ち合う学校である。

 学びの共同体のヴィジョンである。このヴィジョンによって、学校の公共的使命である「一人残らず学びの権利を実現し、その学びの質を高めること」と「民主主義の社会を準備すること」を実現しているのである。

 佐藤学さんは、学びの共同体の学校改革を、三つの哲学によって基礎づけている。

 学校改革の第一歩は、教室を開くことである。学校を公共空間として機能させるためには、年に最低一回は自らの授業を公開し、すべての同僚と共に、子どもを育てる関係を築く必要がある。公共性の哲学である。

 二つには、一人残らず生徒が固有名詞で話題になる学校であり、職員会議でいつも発言者が限られている学校でも、授業協議会で一部発言しない教師が存在する学校でもない。子どもも教師も校長も保護者も一人ひとりが主人公になって協同している学校でなければ、学校改革は成功しない。民主主義の哲学である。学校と教室に他者とともに生きる生き方として民主主義を実現するためには、子どもと子ども、子どもと教師、教師と教師の間に「聴き合う関係」を創造しなければならないという。聴き合う関係だけが対話の言葉を準備し、対話的コミュニケーションを生み出して、学びの共同体を実現することを可能にするというのである。

 三つには、どんな条件であっても丁寧さと細やかさを大切にして、最高の学びを追究することを習慣にする必要がある。卓越性の哲学である。子どもに提示する課題のレベルを上げて、卓越性の哲学を追求することは、教師にも子どもにも、学びにとって最も重要な倫理であり謙虚さを育てることになるという。

 学びは、個人で行われることはない。個人で行えるのは、練習と記憶だけであるという。あらゆる学びは、新しい世界との出会いと対話であり、対象・他者・自己との対話による意味と関係の編み直しであり、対話によって実現しているのである。

 グループ全体で一つの活動に協力させると、できる子どもが中心に活動して、わからない子どもが脇にまわってしまう。そうではなくて、わからない子どもが「ねえ、ここどうするの?」という問いを発することから、学び合いが出発するという。「ねえ、ここどうするの?」という質問に応える子どもは、つまずいている子どものつまずきを理解し、つまずいている子どもがわかるように説明しなければならないし、その援助の言葉を受けて、わからない子どもは一生懸命に思考しなければならない。この他者の援助を媒介とする思考によって、わからない子どもは一人で学ぶことの限界を超えることができる。わかっている子どもは、わからない子どもへの応答によって、「わかり直し」を経験しているのである。「教え合う関係」は、わかっている子どもがわかっていない子どもに一方的に教える関係であるが、「学び合う関係」は、わからない子どもが「ねえ、ここどうするの?」と質問することから出発する学び合いであり、わからない子どもとわかっている子どもの両方に恩恵をもたらす互恵的な関係が成立しているのである。

 学びの共同体では、自分の考えや意見を述べる話し合いではなく、新しい気づきや疑問を探索する「学び合い」が求められている。 

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