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行き先不明の旅1

人生の旅路は、電車やバスとは違い、どこに行くか分からないことがある。
私自身も、自分を振り返ると、今の仕事をしていることは思ってもみなかった。又、宮城に住むことになるとは想像もしていなかった。
もっと言うと、聖書を読み、主を信じることも、祈っていることも、礼拝していることも、まさか自分がそうしているとは思いもしなかった。
聖書には、信仰の父と言われたアブラハムが、慣れ親しんだ土地から離れよと主から言われる場面がある。

創世記12;1〜9 
その後、主はアブラムに仰せられた。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上のすべての民族は、
あなたによって祝福される。」
アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。
 アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。
 アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。
 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
 彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。
 それから、アブラムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた。

この1〜3節の主からアブラハムへの召命のみことばは、ここから贖罪の物語が始まることを意味している。それはすでに、エデンの園で暗示されていた。創世記3;15に、『「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」』というみことばで、キリストによるサタンの勝利、人間の罪に対する完全な勝利を意味している。それはキリストによる罪の贖い、贖罪であって、主からアブラハムへの召命のみことばを、イエスさまが成就するものであった。神が人間を創造し、アダムとエバが堕罪してから2000年、ノアの洪水から400年後に、唯一の神である主を忘れ、偶像礼拝と罪悪に満ちていた世界で、主はアブラハムを召し、人類の「回復」と「贖罪」を目的として、その運動の創始者とした。
その頃は、世界の開拓時代であって、諸民族がまだ同じ部族での共同生活体の域を出ず、有望な良い条件の定住地を求めていた頃である。偶像崇拝者でなく、主の道に正しい人、主を信ずる者が少数であったこの時代、その少数の中から選ばれたアブラハムは、子孫に関する次の約束を神から受けた。

1.カナンの地を受け継ぐ。
2.子孫は大いなる国民(こくみん)となる。
3.子孫によって「地のすべての国々は祝福を受ける」

 この約束は、全聖書に展開されている根本思想である。
カナンの地とは、今日のイスラエルの辺りで、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯のところを指す。

つづく