ピコ太郎の流行ることの何が害なのか?

どうも、「ホントのメディア」~ビジネス本の要約・書評・日記サイト~運営者の武信です。

ピコ太郎の流行ることの何が害なのか?というタイトルで話していきますね。(けっこう前に書いた記事です)

目次。

1 ピコ太郎が流行るのが害な理由1 

2 ピコ太郎が流行ることの害の具体例。

3 ピコ太郎はやらせ?

4 小説に応用してみる。

5 僕の芸術論。

6 質の低い作品の大ヒット現象はろくなことがない。

7 ブログ界でもピコ太郎現象は起きている。

8 イケダ氏を批判するブロガーはイケダ氏の正当性を認めていない&ネット界の事情。


1 ピコ太郎が流行るのが害な理由1 

ピコ太郎が世界的に流行っているようです。

Youtubeの再生回数がものすごいことになっています。

ここでピコ太郎の大ヒットを基に、「なぜピコ太郎が流行るのが害なのか?」を論じたいと思います。

1 ヒットの基準を歪めることでクリエイターの創作意欲を奪うか、質の低い作品が濫造され、世界的にも日本の作品が恥をかくことになるかもしれない。

これが僕の主張です。

ピコ太郎の良さが少なくとも僕や家族や友人の数人には分からなかったようです。

ピコ太郎の「PPAP」や「ネオサングラス」は特に、どこが良いのか全く分かりませんでした。


2 ピコ太郎が流行ることの害の具体例。

ここで芸術とは主観だという前提がありますが主観といってもある程度の質の基準がある立場で論じたいと思います。

ピコ太郎とは逆に、質が高い例としてRadioFishを挙げたいと思います。

ピコ太郎の動画の質の低さをいったん基準としてしまうと世の中に不公平さが出てきてしまう問題があります。

つまりピコ太郎ぐらいで認められるなら「俺も!」というようなYoutuberが大量に発生するのです。

そしてYoutuberの人達は嘆くことになります。

ピコ太郎とほぼ同等かそれ以上の質が高いと思われる動画を挙げているのにヒットしないと。

そうなるとピコ太郎は単に世間での露出(TVです)が多いだけでヒットしているのでは?と嫉妬するようになります。


3 ピコ太郎はやらせ?

実際、ピコ太郎は僕はやらせの要素が高いと感じています。

TVでのプッシュが半端ないからです。

TVでこれだけ話題になるとピコ太郎を検索して1度は見てみようという層が必ず現れます。

その人達がYoutubeの回数に貢献することになります。

そうして虚像が作られるのです。

こうしてヒットの基準を歪めることで制作者たちの負担が出てきしまう問題があります。


4 小説に応用してみる。

これを小説や音楽に当てはめればすぐに分かることです。

小説で駄作と言われるレベルがバカ売れした例として歌手の絢香の夫である水島ヒロ「KAGEROU」があります。

これはミリオンを超えましたが後に、酷評にさらされることになります。


5 僕の芸術論。

ここで芸術論を書きます。

芸術とは主観であり、人それぞれで満足度が違います。

質が低くてもその人が満足しているならば芸術としては成り立っているとは言えます。

ただし、それが大衆品やバカ売れや大ヒットとなると問題点が出てきます

質が低い作品が少数派だけの間で認めれているうちは「まぁ芸術は主観だからね」で済ますことができます。

しかし、大衆作品や大ヒットまで行き着くとそれが日本の基準になり、世界から見たら「あんな作品で日本人は喜んでいるんだ」と思われるということになります。

ピコ太郎の場合、世界的ヒットなので世界の大衆が満足したように思われますが本当でしょうか?

「日本人はこんなので満足しているのか?」と思われてしまった可能性はないでしょうか?

RadioFishが世界的に流行ったとなれば日本人の僕としても「日本の基準は世界基準レベルだ!」と主張できるのですが。。。

ピコ太郎の場合「これが日本基準だ!」とは決して言えません。

僕だけでしょうか?


6 質の低い作品の大ヒット現象はろくなことがない。

このようにクリエイターの創作意欲を奪ったり、嫉妬心を生んだり、ろくなことがないのが質の低い作品の大ヒット現象には生まれるのです。

ちなみにピコ太郎の初アルバム「PPAP」が発売初週に2万1000枚を売上げ、オリコンランキング3位になったそうです。

しかし2万1000枚ってしょぼくないですか?

これらの数字には自社買いも、加えて少数ですが身内買いも含まれるでしょう。

そうなると実数は1万枚台になりそうです。

金を払ってまで聞きたいアルバムではない、つまり質が低いという証明になります。

ピコ太郎がいかにTV局の過剰なプッシュにより作られた存在か?が分かります。


7 ブログ界でもピコ太郎現象は起きている。

この現象はブログ界でも起きています。

イケダハヤト氏は炎上商法で注目を集め、質がそれほど高くないと思われる記事を量産しながら大儲けしたと言われています。

なぜイケダ氏が叩かれるのか?

まっとうなやり方でまっとうな成果物を出してないからです。

ここにもピコ太郎現象と似た構造を見ることができます。

イケダ氏が他のブロガーよりも質が高く、まっとうなやり方で儲けていたら、ほとんどの人は批判なんてしないのです。

批判されるには理由があるのです。

僕の今回の記事で書いた「他のクリエイターの創作意欲を奪うか、嫉妬心を生む、さらには世界の恥になる」ということですね。

幸い、ブログ界は世界への進出はないようので世界の恥は除外です。(国内問題です)


8 イケダ氏を批判するブロガーはイケダ氏の正当性を認めていない&ネット界の事情。

批判するブロガー達はイケダ氏の正当性を認めていないわけです。

これはイケダ氏を認めた信者たちにも責任があります。

イケダ氏を信者たちが認めていなかったらイケダ氏は生まれていなかったのですが、その信者たちがもっと質の高い人達を目指し、認める傾向があればその結果生まれたであろうポストイケダ氏は正当性があることになり(質が高い記事量産なので)、批判は起きづらくなるということになります。

つまり、紙の出版物並みの編集社らによるフィルターがかけられているからこそ、紙の出版物は質が担保されているのですがネットではそのフィルター役が無知な信者達であり、だからこそイケダ氏を生んだということになります。

ネットの世界は玉石混淆であり、くだらない記事で満載なのです

フィルターはほぼかかっていません。

だからイケダ氏の批判派やアンチが生まれるのは必然だったのです。

ちゃんとした正当性のあるブロガーを認める文化があればこういうことは起こりづらいです。

世の中、批判されるにはちゃんとした理由があるのですね。

ではこの辺で。

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