ピコ太郎の流行ることの何が害なのか?2 批判する側の理由

どうも、「ホントのメディア」~ビジネス本の要約・書評・日記サイト~運営者の武信です。

ピコ太郎の流行ることの何が害なのか?2 批判する側の理由というタイトルで話していきますね。

目次。

1 前回のまとめ&まっとうな正当性があれば批判されない。

2 恋愛工学への僕の批判。

3 批判する側の理由3つ。

4 僕の批判事例。(公益のため) 

5 私怨の事例。

6 ライバル企業やライバルによる蹴落とし。

7 批判する側を分類し、冷静に対応できる。

8 戦争の際は大義が必要。(私怨目的の人を応援すべきではない)

9 私怨が発端でも犠牲者がほかに多数いるなら話は別。

10 最後に。


1 前回のまとめ&まっとうな正当性があれば批判されない。

前回の記事で「ピコ太郎が流行ることの害」を論じました。

簡単に言えば「正当性がない人がヒットすると他のクリエイターの創作意欲を奪うか、嫉妬心を生む、さらには世界の恥になる」という話でした。

そして「批判される側には理由がある」とも書きました。

逆に考えてみると「批判されない人というのは批判する理由がない、つまり、正当性がある」と言えます。

イチローや錦織選手は日本に多大な貢献をしており、批判するのが難しいです。

要はまっとうな商売、まっとうな仕事をしており正当性があり、批判する隙がないということです。


2 恋愛工学への僕の批判。

対して批判される人として今回はピコ太郎を挙げましたが、他にもイケダハヤト氏、さらには恋愛工学の藤沢数希氏を取り上げたいと思います。

僕は別の記事で恋愛工学を批判しています。

詳しくは記事を読んでもらいたいのですが理由としては結婚目的の女性に害が及ぶからです。

つまり、公益(女性の権利)のために批判しているのです。


3 批判する側の理由3つ。

批判する側の理由として、3つ種類があると思います。

1つ目は公益です。

世の中のためという意味です。

2つ目は私怨(個人的な恨み)です。

3つ目はライバル企業やライバルによる蹴落としです。


4 僕の批判事例。(公益のため) 

順番に見ていきましょう。

公益は僕の場合、恋愛工学批判ピコ太郎批判イケダハヤト氏批判(そこまで批判してませんが。正直、無関心です。。。)が例としてあります。

3つの事例の批判には私怨はほぼありません

個人的な恨みはないのです。

私怨がないのにわざわざ批判するのは公益のためであり、使命感などがあるのだと思います。

正直、藤沢数希氏やピコ太郎やイケダハヤト氏に嫌われるリスクを冒してまで批判するわけですから(その信者にも)、ある意味損得でいえば個人的には得ではないです。

それでも批判するのですから公益なのです。

個人の得がほぼなく、逆に損があるのに批判するのですから。


5 私怨の事例。

次に、私怨の場合「嫌がらせにほぼ近い」でしょう。

ですが私怨なのに「公益に見せかける」手段もよく使われます。

省略。


6 ライバル企業やライバルによる蹴落とし。

最後のライバル企業やライバルによる蹴落としはわかりやすいです。

例えば武田塾の本のレビューには予備校関係者と思われる批判レビューが殺到しています。

このようにライバル企業やライバルらは自己を守るために自己を蹴落とす可能性のあるライバルは批判するのです

これは一種の人間の防衛反応です。


7 批判する側を分類し、冷静に対応できる。

これらの批判する側の3つの理由を知っておけば「批判する側はどの分類に入るのか?」と冷静に見極められるでしょう。

「公益」のためか、「私怨」か、「公益と私怨の混合型」か、「ライバル企業やライバルの蹴落とし目的か?」です。

これらを見極め、批判者に便乗するか応援するかしないか判断しないと足元を救われます。

私怨目的の人を応援すると公益目的の人と合致しなくなるのです。

私怨が先だっているので、たまに行動が矛盾します。

そうすると批判の正当性が減り、批判勢力側の威力が衰えます。


8 戦争の際は大義が必要。(私怨目的の人を応援すべきではない)

これは例えを使うと分かりやすいでしょう。

例えば戦争をする際、大義が必要ですよね?

大義じゃなく「権力者の私怨」のために戦争が行われたらどうしますか?

批判行動も規模は違いますが戦争と同じです。

批判行動に同調し、応援したのに実はその人の行動理由は私怨だったらどうしますか?

「私怨の片棒を担がされたのか?」と落胆しませんか?

これが大義や公益が目的なら私怨と違いがっかりすることはないでしょう。

戦争や批判行動において私怨目的がほとんどを占める場合、その人を応援するとがっかりさせられると思います

私怨が入っているので行動が矛盾だらけになるからです。

戦争でも大義や公益のために勝つことより、権力者の恨みを晴らすという理由で人命が失われるかもしれません。

私怨行動を応援することの怖さが分かったのではないでしょうか?


9 私怨が発端でも犠牲者がほかに多数いるなら話は別。

とはいえ、私怨が発端でも被害者が多数いて、その代表としての批判なら、話は違います。

私怨ももちろんありますが被害者がたくさんいるので、私怨をある程度抑えて、公益(多くの被害者のため)に近くなるからです。

被害者が多数いるのなら私怨というより、公益に近くになり正当性が出てきます。

この違いは理解しておくべきでしょう。


10 最後に。

正当性のない人の商売は必ず批判にいつかさらされるので、そういう人は要注意です。

一番いいのはまっとうな商売をすることです。

正当性のある、まっとうな商売をすれば批判が減りますから。(私怨とライバル企業など以外。公益では批判されない)

ではこの辺で。

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