「フェイクニュースに対抗する力を養え」でいいのか?

日々世の中にはフェイクニュースがあふれている。
それこそ、今のAIの技術 (GAN) を使えば、本物と見分けがつかない画像や動画を作ることが可能な時代であるので、しっかりとニュースを見てもフェイクニュースであるかどうかわからないようなニュースも多い。
また、新型コロナ関連でも問題になっていると思うが、査読されていない (十分に正しいことが審議されていない) 論文の情報をメディアが発信するというケースも増えている。
特に厄介なのは、論文に乗っている情報と言うと、多くの人が対して考えずに正しいものだと認識してしまう。
よく言われていることだが、科学的な証明というのは論理的に正しければ正しいもので、真に正しいかどうかはわからない。ものによっては時代が変われば正しくなかったということも十分ありうる。このような話もきちんと理解している人はどれくらいいるのだろうか。

そんなフェイクニュースに対して多くの人はこんなことを言う。
「フェイクニュースに惑わされないように読む力、考える力を養いなさい」
確かに読む力・考える力があれば、フェイクニュースかどうかを判断できるかもしれないが、読む側の負担が大きくないだろうか。
全てのメディアがなどと言う気はないし、視聴を稼ぐことがメディアの仕事ではあるから多少は仕方がないとは思うが、メディア側にも努力が必要なように思える。
読む力・考える力がある人から言わせれば、「他人任せにするな」とか「努力をしろ」とか言われるかもしれないが、そもそも、どのようにすればそのような力がつくのかすらわからないのが現状である。
ニュース離れする若者が多い中で、能力を養ってからニュースを見なさいと言われたら、ニュース離れが加速するのは必至である。

何から初めていいかわからない人に対してフェイクニュースに対する不安を募らせるより先にすることはないのか?
私はニュースを読む力を養うための第一歩を用意するべきだと思う。(もしもすでにそのようなものがあるのであれば私の知識不足である。よければ教えていただきたい。)

ただ、twitterのタイムラインに流れてくるニュースの見出しだけでニュースを読んだ気になってと言うのは読んでいる側が悪い。
中身を見てからこそニュースを読んだということになる。

新型コロナ関連のニュースに注目を気にすることで初めて本格的にニュースを見るようになった私であるが、日に日に多くの情報に触れる中で昔とは格段にニュースの読み方は変わっていると思う。
そして、日に日にニュースを読んだりすることに対する楽しみが増してきている。
バラエティ番組などの方が好んでいた昔とは根本は変わっていないと思うが、正しく理解していろんな情報を知ることはゲームやバラエティなどの娯楽と比較しても引けをとらないほど魅力的であると思う。
とはいえ全てのニュースが面白いわけではないので、記事の分野ごとに読む頻度を変えたりなどの工夫をすることで楽しくする方法はたくさんあると思う。
フェイクニュースを恐れずに、個々人の多様な方法でニュースを楽しんでいけばいいと思う。

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