学ぶことと考えること

私は小学校から多くのことを学び、吸収して、勉強というものを生活の中心に置いてきた。
受験やテストなどではインプットをした上でアウトプットをすることも多かった。
ただ、人の手によって作られたテストには答えがあり、それを合わせるために多くの時間を要してきた。

しかし、社会に出て生きていく時に必要になってくるのは答えのある問いに対して答えが合っているという力ではなく、答えのないことや自分の未知のものに関して考えて自分なりの答えを出していくことであると思っている。
決して受験や教育におけるテストを批判するつもりはない。それらはそれで別の力を鍛えていると思うからだ。逆にそれを蔑ろにする意見を出している人もいると思うが、私はそれには賛成できない。
ただし、学生でなくなるにあたっては答えのない問いに対して考えを持つということがとても重要になってくる。
知識を蓄えるだけではもういけない、知識を蓄えた上で自分で考える、それが重要なのだ。

「知識を得て、自分で考えて、を頭の中だけで自分はやっている」という人もいるかもしれない。
これに関しては、一部の優れた人間はこれが可能だとは思うが、自分を含む多くの人間には不可能だと思う。
新たな知識を得てそれを理解した上で自分の頭で考えるには思ったよりも脳に負担がかかる。
自分の場合は①知識のメモを取って②新たな知識の整理をし③それが正しいかどうか受け入れられるかどうか判断し④自分なりの考えが生まれる
これらを頭の中だけで実行するほど脳の机は広くはないはずだと思う。
ここで、自分は手段は問わずに何かに書き出すべきだと思う。
ノートでもスマホでもPCでもSNSでもなんでも構わない。
とにかく文章化してみる。
文章化することで初めて俯瞰して自分の意見と新た煮えた知識を整理して考えることができるのだと思う。

また、考えて書き出すだけでなく、それを発信するべきだとも思う。
世界には77億人(2019年)の人間がいて、当然それぞれ違うバックグラウンドを持っており、誰一人として同じ人はいない。
自分オリジナルの意見を発信していくことはとても大事だと思う。
本を書くとかそんな大それたことはしなくていい、ブログやSNSでもなんでもいい。
とにかく発信して、あわよくば交流することが大事だ。
人それぞれ価値観や、先入観はあるので、交流することで違いを知ることができるので。
このように思っているからこそ自分はこの"note"という媒体を使って、これまでに自分の日記にためていた情報を発信していこうと思った。

最後に、自分は考え方が変わることが多いと言われることが多々ある。
ただ、これはインターネットが普及し、グローバル化が進むにあたって、時代の流れや社会の流れが早くなることでどうしても起こりうることだと思っている。
数年すれば常識というものは想像もしないほど変化してしまう。
当然、その常識やかつての先入観・価値観が変われば意見が変わることはありうると思うし、逆にそうするべきであると思う。
それと合わせて、自分の意見が変わっていることを自分で認識することも大事だと思う。
だからこそ、何かに書いたり発信したりすることで記録として残していく必要があるとも思う

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