日記(6/21)

一日中しんどい。
これに尽きる。やはり体力がなくなってきているのだろうか。昨日に作り溜めしておいたシチューが助かった。内臓が冷えていることが多いから温かい料理が良いが、しかしながらその後の体温上昇と発汗は嫌い。

肉体が今のテクノロジーによって様々なことがコントロールできる時代に追いついていないのが恨めしい。発汗などの反応なども自分でコントロールできるようにして欲しいところだ。自分の感覚はすでに狂っているのだから、機械にモニタリングさせて生きていく方がベストにも思える。
特に、私の脳は。脳から湧き出てくる死の詩は耳を塞ぐこともできないし、目を閉じることもできない。抗うつ薬というシャッターはあるものの、それが十全に私の思考からのシャッターになっているのかは怪しい。
肉体があるから存在の維持に金がかかるのか、もしくは肉体を無くしたら存在の維持に金がかからないのか。前者の対偶は存在の維持に金がかからないならば肉体ではない。だが、これは正しいように思う。私たちがもしヒトの種を超え、その存在をコンピュータの中などに設定することができたとしても、エネルギーを消費する以上、それは金がかかる。ならば空間に存在を固定できるようになるならば? それも同様に、より良い空間の奪い合いになる可能性がある。家賃は存在を維持する限り逃れられないのだろうか。幽霊ももしかしたら存在するエリア……家や墓などにエネルギーを供給することによって存在の維持をしているのだろうか。

頭痛とランダムな思考という暮らしにくいものに阻まれながらも一応生きている。私の頭はロープにぶら下がってもいないし、.45で砕かれてもいない。私は死ぬとしたら一瞬で意識を奪われる方法か、意識がない状態から死ぬのを望む。死に漸近する苦しみは、何度も味わってきた。あれは死ぬよりも苦しい。


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