日記(7/13)

ああ。しんどい。
最近思うことはこればかりである。夏という季節は命を良く感じるとともにそれを焼き尽くさんとする1AU先の炎を感じる季節でもある。
故に、私はこの季節が嫌いだ。命が遍くに存在することを感じるのも、炎が地表を焼き尽くすのも嫌いだ。この時期だけ地球に傘をさしてしまうのはどうだろうか、この時期だけ生きるのをやめてしまうのはどうだろうか。

生きるということは難しい。物体として存在し、動く以上エネルギーを消費してしまう。そしてそのエネルギーを稼ぐために私たちは望まないことをしなければならないし、動かねばならない。霧のような生命体ならば、思考だけすることで生きて行けたのにと思う。
生きることの全てが悪いことではない。それは事実だ。だが、私にはその悪い面を受け止めて生きることは難しく感じる。故にリストカットや首吊りで命を絶とうとしたもののその全ては私とは分離した肉体としての意志によって失敗することになった。生命が存在することは悪いことだけではない。そうなのだろう。実際私は命が生み出したものを楽しんでいる。物語やゲーム、アニメーションに音楽は命が生み出したものだ。しかし、それを有り余ってなお私の意志は世界に存在することを拒むほどに暗い面を見せ続ける。

命を絶つことを禁止されている理由は単純だ。そうしなければ皆自分で命を絶ってしまうからだ。私はそう思う。生きるということに対する意識の解答は、生きることは楽しみより苦しみのほうが上回ってしまう、だ。地球外生命体もこの苦しみを感じているのだろうか。ポストヒューマンもこの苦しみを感じるのだろうか。古代に洞窟の中でこの苦しみを感じてきたのだろうか。
願わくば、この意志が私単体のもので生命体全体のグレートフィルターでないことを。

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