武士論を検証する (1):武士の起源

 武士がいつ、どのように生まれたのかという武士の起源に関する武士論は今までいくつも現れています。それは歴史事実の調査、追跡、分析のきめ細かな起源論です。武士の起源は古代王朝から地方に派遣された下級貴族に帰する、あるいは武士は未開の地を開発し、農地をたくさん所有する有力農民から生まれたなどです。
 一方、武士の成長を描いて武士像を求める武士論もあります。武士の歴史論です。奈良時代の<古代武士>から室町時代の<中世武士>まで武士はどのように成長し、武家の世を形成したのかが論じられています。歴史学者、五味文彦先生の著書が有名です。
 武士論には武士の起源や成長を論じる他に、もう一つの武士論が存在するのではないでしょうか。それは武士の本質論です。特に中世の武士像を明らかにする試みです。私たちが普通、思い浮かべる武士は鎌倉時代以降の武士ではありませんか。いわゆる中世史に登場する武士であり、江戸時代の末期まで日本を支配した人たちです。頼朝や秀吉や家康など、そして彼らの多くの従者たちです。
 一方、坂田上田村麻呂や源義家や平清盛やそして都から全国各地に地方長官として派遣された下級貴族、そして彼らに従う多くの兵は古代王朝に属する武士であり、古代王に仕え、彼の命令の下、彼の敵と戦い、そして治安の維持に努めた。彼らはいわば古代の戦士であり、古代武士です。
 二種類の武士として古代武士と中世武士が考えられます。彼らは明らかに異なって見えます。見た目も違えば、その本質も違います。一方は王朝に属し、他方は幕府(武家政権)に属します。勿論、違いはそれだけではありません。両者はもっと根本的なところで異なっています。その違いを明らかにすることによって古代武士、そして中世武士の本質が明らかになるのではないでしょうか。それがこの武士論の目指すものです。
 さて最初の中世武士と言えば頼朝と関東の在地領主たちが思い浮かびます。この思いは一般的なもので、誰もが納得することでしょう。彼らを眺めた時、その特徴と言えば彼らが弓や刀を身につけていること、そして武力を揮うことです。そして規模の違いはあっても土地(農地)を所有し、自らの生計をたてていることです。
 そうした目に見える現象はわかりやすい特徴ですが、下級貴族や有力農民、あるいは地方の豪族も程度の差はあっても同様に武装し、土地を保有していました。(この論では荘園制や寄進荘園などの説明は省略して進めます。それ等については別稿で説明します。)
 決定的なことは彼らが<主従関係>を結ぶ者であるということです。12世紀の関東の地における頼朝と在地領主たちが結んだ<特別の主従関係>です。それは義家や清盛などの古代武士にとって未知なるものであり、全く経験しないものでした。(これからは中世武士を単に武士と呼んで論を進めます。)
―――(2)へ続きます。
 

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