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「編集」とは何か? 編集者の仕事をもう一度考えてみる

「編集」ってなんだ?

ここ数年、「編集」という言葉が注目を集めている。特に、編集者という職務上の技術としての「編集」がビジネス一般に活かせる、という文脈で語られる機会が多くなったように思える。

どちらかといえば、世の中に出ることが少なかったこの職業にスポットライトが当たることは、どのような文脈であれ、基本的にはいいことだ。「編集」という仕事に関心が集まっていることは編集者の端くれとして純粋に嬉しいし、出版業界の未来のためにも、多くの若者(学生)が編集者という職業に憧れを抱いてくれていることは非常に心強い限りである。

その一方で、このところ「編集」という仕事に対する出版業界「外」の認識について、違和感を覚えることも多くなった。僕が自分自身の経験から考えている「編集」という仕事と、世間一般で認識されている「編集」という仕事のイメージの間に、ややズレがある気がするのだ。

この違和感は、何なのだろうか。 

思考回路の中心は「活字」にある

編集者の仕事は、本や雑誌、WEB記事をつくることだ。著者に原稿を書いてもらい、それを共同作業で「より良い文章」にしていく。

もっとわかりやすい構成はないだろうか?
読者を引き込むには、どうすればいいのか?
この説明では言葉足らずだからもっと補足したほうが良いのではないか?
読んでもらえる、手にとってもらえるタイトルは何か?

……といった具合に、担当している「作品」のことばかりを考えている。

つまり、編集者とは基本的には「文章と向き合っている人間」であり、思考回路の中心は「活字」にある。であるがゆえに、おのずとその仕事内容は、地味で淡々とした作業が多くなる。ゲラと向き合い、はみ出した行数と格闘し、赤ペン、青ペンで校正記号を書き込み、膨大なカスを排出しながら校閲が入れた鉛筆の書き込みを消しゴムで消していく。

編集者は、業務の重心を「文章をよくすること」に置くべきであり、そこにこだわりがない編集者は良い編集者ではないと、僕は考えている。

「届けること」も仕事

その副次的な行為として「出来上がったものを読者に届ける」というものがある。

出版業界華やかなりし時代を生きた編集者の中には、「読者に届けること」を考えていなかった人も多いという。本や雑誌をつくれば勝手に売れた時代というのがあったらしい。しかし、今は違う。ただつくるだけでは売れない。「どうやったらひとりでも多くの人に手にとってもらえるか(読んでもらえるか)」を考えることは、編集者の大切な仕事のひとつだと言っていいだろう。

整理すると、

(1)いい文章(本、雑誌)を著者と一緒につくる
(2)それを一人でも多くの読者に届ける

これが編集者の仕事だ。言うまでもなく、(1)が主で、(2)が従である。

違和感の正体は「逆転した主従」

どうやら、僕が抱いた違和感の正体はここにあった。

出版業界外の人(特に若い人)に「編集者ってどんな仕事だと思う?」と聞いてみると、この「主」と「従」を逆転して認識しているケースが多いのだ。

SNSでバズらせる。意図的に話題をつくる。コミュニティ、ファンサークルで売る。……確かに、どれも「売るために」大切な行為だ。だが、これらはあくまで「従」である。手段でしかない。「主」として、大前提として、編集者は「いいもの」をつくることに全力を注がなければいけない。内容はどうでもいいから、売れればいい。ビジネスとして成功すればいい。これは編集者の発想ではないと、僕は考えている。

これに対して、「これからの編集者はプロデューサーを兼務しなければいけない」という声をよく聞く。確かにそうだ。でも、あくまで「兼任」である。編集者である限り、プロデューサーとしての仕事は、「従」でなければならない。

「編集者として、売れる本を作りたい」
「SNSで話題づくりをして本を売ります」
「バズる記事を書けるようになりたい」

このようなことを言う編集者志望の学生がいる。「売ること」の意識が先行しているのだ。売れる本をつくる編集者が、バズる記事をつくる編集者が、いい編集者=優秀な編集者だと思っているらしい。

こういう認識を改めて欲しいと思う。編集者ならば、まず「どんなものを作りたいのか」という想いが先行するはずだから。

売れたくないのか?と言われれば、そりゃ売れたいに決まっている。でも、売れりゃ何でもいいのか?と言われれば、それは絶対に違う。粗製濫造した思い入れのない本が100万部売れても、編集者は喜ばない。WEB編集者だって同じである。低次元な釣り記事で1億PVを稼いでも何も嬉しくない。「いいもの」をつくった結果として売れるから、嬉しいのだ。

以前、購入冊数に応じて特典をつけ、同じ人に何冊も同じ本を買わせようとしたプロモーションを見かけたことがあるが、僕の感覚でいえば、これは「最低な本の売り方」である。だいたい、同じ本を20冊持っていて、それをどうするというのだ。購入者を読者と見なしていない売り方、すなわち「売れりゃいい」の最たるものである。

自分がつくった本が、この先も永く読まれる作品になること。自分が担当した記事が、ひとりでも多くの人のこころを揺さぶるようなものになること。そういう「もの」への熱い想いを抱いているのがいい編集者だと、僕は思う。

「編集者は売ることを疎かにしていいから、つくってさえいればいい」と言いたいわけではない。何度でも繰り返すが、それも大切なことだけど「従」なのだ。編集者ならば「主」である「ものづくり」を何よりも大事にしなければいけない。この主従は決して逆転させてはならないのだ。


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