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精神の中身のダイエット(というかデドックス?)

12月16日頃の話、
実は1日半〜3日間くらい、
人間じゃない頃に戻ったような生活をしてました。
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机の上にあるものにも手が届かないくらい、キッチンに行けばあるものにも手が届かないくらい、本当に動けなくて、動かないから体が痛いのか、体が痛いから動けないのか、体の意思を尊重し、その意識を使って、取りに行かない、歩かない、無理に動かないを一生懸命やる。そんなくらいの狭い範囲でしか動かず、逆に自分自身という世界をすごい深く掘り続けるように暮らしてました。絵は描いていたんですが。
(病気ではありません、リズムです)
どうなったかというと、3時間寝ては3時間絵を描いて、また少し寝て少し絵を描いて。自分の思考やイマジネーションをキャンバスやスケッチブック吐いては、少しものを食べ、ルイボスティを淹れ、また、寝て、また、起きて絵に描いて。を、結局、1日半〜3日間、繰り返していたのでした。
本当に自分の要素が片っ端から干からびていくような感じでしたが、だからこそ、今回のこれは、絶対に気晴らしをしないように頑張りました。(←ここがポイントなんですけど。)

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(これは、削ぎ落とした直後に人間的な忙しさがきた時の写真です)

何なのかよくわからないのに、結果なんてないのに、目的も見失ってる感じなのに、自分にとことん集中しなければならなくなっていて。それをやりたくて。今しかできないような気がして。その、気だけはすごい濃くて!

やりきった!

具体的にやってたことは↓
(そんな外から見たら変わんないけど、)

ネットは調べ物以外は見ないようにし(見たくなくて)
心地悪い音楽や耳障りな音は絶対入れず(聴きたくなくて)
食べたくないものは体に入れず(食べたくなくて)
無駄に外に出ず(珍しい)


そうやって、どんどん自分の中身を掘りました。

もちろん誰にも会わず。
要件のメールもすぐに返信しないくらい、自分以外の人間や社会を遠くへ置く感じ。本当に食べたいものを食べたいだけしか摂取せず、この期間は、トイレに行くのが一番派手な行為で、作品を生み出すこと以外は特にせず。
行動力があると言われてる私が、動きを最小限に抑えて生活を試みた。というか、行動を抑えるのではなく、そうやって、精神的にググッと追い込んだ時に出てくる自分の心境と向き合うしか、もう、この時進む道がなくなっていたのです。
今回は、絶対に気晴らしをしないように頑張りました。
(↑ここがポイント。)


そして、そういえば、わたしは
時々、ニューヨークでこういう時間を持ってます。


普段、ものがありすぎることに慣れている現代の生活で、私は、無意識で、惰性で繰り返している何か。その惰性が何なのか、それを削除したくて、とことん見つめる時間。結局、人と人の間に、ものや情報を行き来させることに過剰に重きをおいているのか、そのせいで、ゆっくりできていないような気がしたので、それもやめてみました。

相当きつかったけど
少したつと、自分の中で自分を完結させられるようになってきました。

寂しくて助けて欲しくても、孤独でどうしたらいいかわからない心境になっても、人に助けを求めたら、前と同じ毎日が来ちゃうのがわかるから
それストーーーーーップ!みたいな。

この向き合いは、誰かの考えを入れないようにして、自分の内側から起き上がってくる意思をたくさん見るだけの、本当にシンプルなことを求めていた。ここを掘って純度をあげていくと、愛とか自分自身のことに行き着いて、自分のことだから後回しにしていたことなどに対面し、驚くほどすっきりシンプルになる。最初はすごい戸惑ったんですけど、少し続けてたら、人に対して感じていたことの中身がむちゃくちゃ変わってきて、

あれれ?って。

うーん、何と書いたらいいのかわからなくなってしまった。


精神の中身をダイエットした感じがしました。
そして、直感が、すごく磨がかれる。
磨かれるというか、信じるしか無くなるような追い込み方。
自分自身も、今まで描いてきた絵や歴史に縛られないようになりたい!
いつもフレッシュというか、もっともっと
自分を濃厚にして、本質を見まくって
いけるとこまで行きたいな。

でかすぎる世界の共通の常識を脱いで、
混ざっても汚れても、洗って、削ぎ落とす力で
生き抜く覚悟があれば、
さらに自分を濃く濃くやって行ける気がするぞ!

TOMOKO KOUDA 2019 NYC

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