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70歳代は十代、80歳代は二十代、90歳代はまだ三十代を生きているみたいだ

『ファーブル昆虫記』の細密な挿画で知られる画家、熊田千佳慕くまだちかぼ(1911-2009)。98歳で亡くなる5年前、93歳のときの密着ドキュメンタリー番組(2004)がありました。
昨年、その再放送(NHKプレミアム『虫の画家2004』を観て以来、彼の遺した言葉が何度も心に浮かんできます。
 
「ファーブル昆虫記の挿画を手掛けたい!」という念願を叶え、初版にこぎつけたのが58歳のとき(1969)。
私が小学生の頃に読んだ『ファーブル昆虫記』がまさにそれです。
なつかしくて新装版を購入しました。
千佳慕がいわゆる「アラカン」でやっと夢を叶えていたのだと知り、感慨を覚えます。

なつかしい1969年版を再編集したもの
(2023年 世界文化社)

ドキュメンタリー番組は、画家としての成功物語とその後の隠退生活を撮影したものかと思いきや、全く違っていました。
 
念願を叶えた千佳慕でしたが、自分の絵に満足していないどころか、強い悔いを残していたのです。もっと現実感・迫真感のある絵が描きたかった、と。
 
93歳の千佳慕は『ファーブル昆虫記』の絵本化の真っ最中でした。言わば再挑戦です。
花や昆虫の生態画家として、さらに絵本作家としても名声を得ていた千佳慕でしたが、新たなライフワークに取り組んでいたのです。
 
真っ白な画用紙を前に鉛筆を握り、精緻を極めた「フンコロガシ」を描くことに心血を注いでいる姿は修行僧のようです。
彼ほどの画力をもってしても、満足のいく絵を描き上げるのは至難の業のようです。
 
反面、妻がこしらえる食事をもりもり食べ、Tシャツに丁寧にアイロンをかけ、掃除や身支度をきちんと行ない、美味しそうにかき氷を食べる — 「今」を丁寧に生きている様子が微笑ましくもあります。
 
一日の終わり、夜空の下で両手を組み、祈る姿がありました。
昆虫たちの棲み家である植物の茂みに佇み、そっと祈っている…。
静寂なその画面が最も印象に残っています。
何かを祈念するというより、感謝、感慨、あるいは「無心」かもしれません。
 
そんな彼が語ったのが表題の言葉です。録画をしていなかったので、細部まで正確ではないかもしれませんが…。
お茶目な表情で「70歳代は十代、80歳代は二十代、90歳代はまだ三十代を生きているみたいだ」と。
 
千佳慕が言わんとしたのは、この言葉のままだと私は思います。
「まだまだ未熟だ」という卑下でもなく、「まだ若いぞ」と老体を否定する強がりでもなく、本当に三十代の「感性」で生きていたのだと思います。
 
還暦で一旦生まれ変わり、再び幼児の目で自然を見つめ、驚愕し、写し取ってきた…。
イタリアのボローニャ国際絵本原画展に入選したのが70歳(72歳で再度)。世界で認められたこの時が、画家としてのスタートラインの十代。
 
二度目の二十代、三十代は、瑞々しい感性をフル稼働させて、自らがファーブルに、いや、虫そのものになりきって描き続けてきたのでしょう。
 
圧倒的な画力を身につけながらも、亡くなるまでずっと一点の曇りもない少年の眼を持ち続けていたに違いありません。

千佳慕のライフワーク『ファーブル昆虫記の虫たち』
全5巻のうち第1巻の表紙を飾った絵

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ある日の夕刻、我が家のベランダの窓からこちらを覗いていたアゲハ蝶。窓を開けても逃げる様子がありません。時々、眠たそうに眼をこすっていました。

“がんばって羽化したよ”

いっこうに飛び去る気配がないまま、一晩そのまま過ごしてくれました。
翌朝、大きく羽を広げて、こちらを見ています。 
窓を開けても、やはり逃げる気配がありません。

“おはよう”

外に出て、近づいてみました。朝陽を受けて本当に美しかったです。

“ほら見て、きれいでしょ” 

それから1時間ほどして、旅立っていきました。

この愛おしい存在と嬉々としてお喋りした私は、今3歳です。
千佳慕を真似て描いた絵はヘタクソでした。

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残念ながら『虫の画家2004』の再放送予定はありませんが、熊田千佳慕の人となりがよく分かる短い動画があります。


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