ユカ

旅行記 など

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最近の記事

80年代

荻窪の、改札を出て右手にパルコがあって、その入り口の前に下に降りる階段があるが、なぜかあのへんの景色を見ると80年代が浮かぶ。聖子ちゃんカット、フミヤカット、DCブランド、ケミカルウォッシュ、まだあるよスヌーピー、ゴロピカドン、そんなので溢れていたであろう80年代の荻窪。しらんけど。 その頃私は小学生で、岐阜の山奥で白いヘルメットをかぶって自転車をこいでいた。時には駅前の「サンマルコ」というデパートで他校の小学生に対して緊張しながら、タキシードサム(好きだった)のノートやら

    • アッシジ駅の思い出

      引用の引用。 手を洗う私を、二人の少女は左右にきて、よくよく観察している。私もよくよく観察させてあげる。美人だなあ、と思っているのかもしれない。そうだと、いい気持ちだ。 武田百合子『犬が星見た ロシア旅行』(中央公論新社) 阿久津隆 『読書の日記』(NUMABOOKS) で、思い出した。 イタリアのアッシジで滞在中のこと。毎日ひまで、その日も駅で友達とただ座っていた。もう夜が始まるころで、そろそろ帰るか…と30分以上の徒歩に思いを馳せていた時、向かいにおばあさんがよっこ

      • ファンレター

        ある作家を好きになって、手当たり次第読んで、過去まで遡ると、見えてくる、師匠の存在。 なんだ、と思う。 結局この人も誰かに憧れて真似してたのか。 しかもあの運動に参加したのだって、あの雑誌を作ったのだって、当時の流行りじゃないか。そういう空気だったのだ。意義、なんて特になかったのでは?ガッカリ…、ていうか卒論のテーマなんだけど!?「流行りに乗ったのだ。」なんて結論出せるわけないだろ! …と思いつつ、師匠のほうの本を読んでみる。うーん、なんか面白くない。 当たり前だけどただの師

        • 『島とクジラと女をめぐる断片』アントニオ・タブッキ

          読了後から私の意識はギリシャに飛んでしまって、なかなか戻ってこない。 しかしこの本の舞台はギリシャではない。ポルトガルの西にあるアソーレス諸島だ。 それは承知なのだけど。その意識の流れは以下のとおりです。 まずこの本の衝撃を受けた箇所。主人公が旅行中に、村人のブラスバンドの隊列に遭遇する。その隊列はある青い窓の家の前で止まり、出てきた老人と指揮者が握手をし、少女がキスをする。何の儀式かは分からないが、その楽隊が演奏していたのが何と、ワ・ル・ツ。哀愁たっぷり。たちまち映画の

          今日の思いつき

          ①ビールをつまみなしで飲めるようになる、のを今年の目標にしようかな ものすごくビールが好き、というわけではなく、冷蔵庫を開けると目につくから飲んでる(ちなみに正しくは発泡酒、つまりグリーンラベル)のだけど、飲みながら次々におつまみを作ってしまってしかもどんどん味が濃くなる。そしてシメとつぶやいて雑炊を平らげた後に飲みかけのビールに気付く。ちなみに350ml。食欲増進のためだけに飲んでる。 マルタで通っていた語学学校で、同じ寮だった日本人の女の子がビール好きだった。少し年下で

          今日の思いつき

          東京メモ

          ①東京で楽しかったのは移動で、地下鉄のホームに着いたらリュックから文庫本を出して読み、電車に乗って読み、乗り換えでエスカレーターに乗って読んだ。 移動中の読書って一石二鳥で、ケチな私にはうってつけ。 高速バスなんて一番読書がはかどるはずなんだが、ひっさしぶりの高速バスゆえ車酔いの気配が…ほとんどただ乗っていただけ。MOTTAINAI。 ②レアな書店ではなく有名どころをまわった、地元にないから。ある書店は置いてある本が汚なかった。好きな作家さんの、昔の本を棚から抜いて見た

          東京メモ

          須賀敦子との出会い

          アッシジでフランチェスコという聖人を知った日は私の30才の誕生日だった。マルタから北上してオランダまで行く3か月の旅の途中だった。当時はイタリアが最も興味がなく、お目当てはヴィム・ヴェンダースの映画で舞台になったドイツとオランダだった。イタリアなんて、ブランド好きな日本人が行く流行りのトコでしょ、と思っていた。無知だったのだ。 結局イタリアが一番好きな国になって帰国することになるのだが、もちろんイタリア語なんて全く分からない。情報は『地球の歩き方』アッシジのページのみ。早く

          須賀敦子との出会い

          聖フランチェスコとの出会い

          アッシジの語学学校には日本人が一人だけいた。 シスターの卵だという。修道院に住んでいる。 まず私は彼女が「俗人じゃない」ことに安堵した。基本、日本人留学生は日本人に優しくないのだ(個人的見解)。そして疑問。シスターの卵として修道院に住んでいるって…なぜそんなことに?修道院って…見たい! 「来ますか?」と彼女…シスター名キアラ(仮名、アッシジなのでもちろんキアラ)は言ってくれた。ヤッター! 私が2か月通っていたイタリア語学校は生徒の9割が聖職者だった。知らなかったがアッ

          聖フランチェスコとの出会い

          私の村上春樹

          イタリアでのこと。 アッシジに向かう電車で本を読んでいた。一息ついて、表紙の村上春樹という字を眺めていたら、うれし涙が出てきた。急に村上春樹への愛が溢れてきたのだ。 本当に、この世に村上春樹がいてよかった。 同じ時代に生まれてよかった。 親しい友達よりも身近で、個人的な、私の村上春樹。 たくさんの人が村上春樹を知っているけど、みんなそれぞれ違う村上春樹なんだろう。それぞれの中で形成された、個人的な、村上春樹。 村上春樹の小説はもちろん不変だけど、読む側の人生、経験があって、

          私の村上春樹

          アンナ

          マルタの語学学校に入学してすぐ、ウエルカムパーティがあった。レストランでマルチーズ料理を食べ(想像通りおいしくなかった、マルタ料理がまずいのではなく団体で行くレストランという点に於いて)、移動してダンスフロアがあるようなバーへ。ウエルカムドリンクをもらい、〇〇スクールのみんな、ようこそマルタへ!のアナウンスを聞く。 恥ずかしい。これはよくある光景なのか。ここにいるのは学校関係者だけではないはずだ。 踊る人たちをながめる。当時パラパラが流行っていて、みんな同じように振りを合

          アンナ

          真夜中のタクシー

          6月にマルタにやってきて1か月。 予定を少し早めて、旅に戻ることにした。 わりと始めから、飽きていた。午前中は語学学校に行き、昼に寮であるホテルに戻って昼飯を作って食べ、昼寝して、散歩するか泳ぐかして、寝る。 昼寝の時点でもう体はだるく、小さなこの島国をくまなく見て回ろうという意気ごみは日に日に薄れていった。友達もあまりできなかった。国訛りの、お互いに不得手な英語でがんばって話すほどの気力は起きなかったのだ。生徒はバカンスを利用した高校生か、中高年が多かった。日本人も少

          真夜中のタクシー