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もがいて もがいて #ココセン


モッコーBグル部さん主催
ノートバトン『ココセン』
https://note.mu/notebaton/n/nb7cfea9ec4ea

『ココセンとは、この本のココにセンを引いた(そして励まされた、救われたなどの)エピソード』

こんなノートバトンが、なんと私のところへやってきました・・・

ので、今日はこれについて書いてみます。


このバトンが回ってきた時に最初に頭に浮かんだ、これ。
少し考えて他にもいくつか候補が上がったけど、でも、やっぱり、これ。


東村アキコ『かくかくしかじか』(漫画)より。

絵を描くということは
木炭にまみれて 絵の具にまみれて
ひたすら手を動かして 思い通りにいかなくて
紙の上でもがいてもがいてもがき続けているうちに
偶然なのか必然なのか ごくたまに ほんの一本
自分が納得いく線が見つかる瞬間がある
その一本を少しずつ少しずつ つなげて重ねて
ただひたすら それの繰り返し


画家を目指しているわけではない私、でも、とても勇気をもらう言葉。

じゃあなぜ?この言葉が?と考えてみると・・・
浮かんだのは、演劇の稽古、なのでした。


「じゃ、もういっかい、ハイ」

演出家にそう言われたら、つべこべ言わず、やるしかない。

たとえば5分のシーン、たとえば台本1ページ分、たったそれだけのために繰り返される稽古。ひたすら、ひたすら。

もがいて、もがいて、もがき続けて、偶然なのか必然なのかやってくる
「これかもしれない」「わかったかもしれない」「できたかもしれない」を
つなげて重ねていく。

私にとっての演劇の稽古はそういうもの。

そしてこの「ココセン」の中でさらに二重線を引きたいくらいなのが
『自分が納得いく線』というところ。

追い込まれると、気付かないうちに「自分が納得いくか」を疎かにして「演出家にOKをもらうため」とか「観客が喜ぶような」だけの演技を求めてもがいてる時があるからだ。そんなふうなもがきは結局作品にとっていい結果を残さない気がしてる。

『自分が納得いく線』なのかどうか。
これがある作品には強度が備わるんだと思う。
必ずしも見つけられない時もあるし、見つけられなくても作品として仕上げなきゃいけない時だってあるけれど。


演劇の稽古はとても面倒くさいのかもしれない。

そんな面倒臭いやり方で、2時間ほどの舞台作品を作るには本当に時間がかかる。気力も体力も必要。

そして、上演して終わってしまえば何も形に残らない。

これは絵を描くのとは全く違う点だけど、私はこの「形に残らない」のが演劇のとても好きなところ。(舞台の上演を記録として映像に残すことがよくあるけれど、あれは好きではない)

そう、形に残らなくても、ひたすらもがいて何かを作ることで、作品に触れる人の中や自分自身に何かを残せるんじゃないかと思いたい。

だから、この言葉にはとても勇気をもらうんだと思う。


*

最後にもうひとつココセン。

結構ギリギリまでこちらにしようかと迷っていたので。


世界中の誰もが知る映画女優が言うからこその言葉かもしれないけど、

でも、

私は確かに「山崎ルキノ」であって、でも「山崎ルキノ」じゃないから。


(『femme』二見書房/オードリー・ヘップバーンの言葉)

「私は偶像でもなんでもない。
人がどう思おうと私は私、自分の道を行くだけ」
"I never think of myself as an icon.What is in other people's minds is not in my mind.I just do my thing."




いまザッと読み返したらずいぶんカッコつけててださいけど、まいっか!
これも全部ひっくるめて、私は私、ってことで。



おしまい。



■バトンを渡してくれた人→ かーるさん
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https://note.mu/j_kijitora

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