科学技術の非言語的ハイコンテクスト化
【※旧ブログ「ソフト&ウェットな研究生活」へ2015年11月8日に投稿した文章の再掲です】
面白い記事がFacebookのタイムラインに上がってきていました。グローバル化には非言語化で対応できるかもという話です。
・グローバル化は、英語化じゃなくて、非言語化!──日本、アジア、そして21世紀 Author: 猪子寿之
私もこの猪子寿之さんのような考え方が未来志向だと思っています。私の考えはこうです。
ウォークマンが売れたのは音楽が非言語だったから。
日本車が売れるのも運転は非言語だから。
3Dプリンターが大切になるのも造形は非言語だから。
ところが、普通グローバル化においては「ローコンテクスト」=「言語依存型」に対応せよ、
と言われます。下記の記事のような見方です。
・ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化
(※投稿時のリンクが無くなっていたので、前と違う記事です)
いま叫ばれているグローバル化の中では、その文化や社会の個性も大切なはずです。日本の一番際立っているところ、それは世界でもっとも高レベルなハイコンテクスト文化であることです。もしそれをローコンテクストにしたら、台無しです。
グローバルでも、ウォークマンが成功したり、日本車や日本食が成功するのは私はそれが実は「ハイコンテクスト文化」の中で創り出されただからだと思っています。単純なように見えて、上手く曖昧さを許容したり、論理的な飛躍を許容したりしていると思うのです。非言語なのにコンテクストに依存する製品やサービスを実現していると思うのです。工学的にいうところの「上位互換性」をハイコンテクスト文化に立脚するとことで自然に実現しているのだと思います。
私は偶然、3Dプリンターの研究に関わり始めましたが、3Dプリンターは実体を創りだすという意味で、まさに非言語的です。ウォークマンが個人向けに音楽を再生する装置だとすれば、3Dプリンターは「個人向けにものづくりを再生する」装置です。しかし単純な造形に使っているだけではやはりローコンテクストのままになります。
これをどのようにハイコンテクスト文化の中で付加価値を高くして、言語に依存しないコンテクスト依存を可能にするかです。ナラティブだったり、感覚的だったりという要素をどのように実現するかです。日本発のキラーコンテンツをどう生み出すかに挑戦していきたいと思います。
これからもいろいろなコミュニケーション技術が開発され、実用化される中で、おそらくこれまでは言語や論理に依存してしていた科学や技術が、言語的かつ論理的な部分が上手く内部に隠されて、ユーザーはもっと曖昧に感覚的に快適に生活できるようになるでしょう。
そのために科学者やエンジニアは、そもそもが「言語的かつ論理的な理論や技術を根本」としつつ、最終的な表現や社会実装の段階においてはそれを「高度に非言語化し、論理的に飛躍させる」という、一見相矛盾したゴールを目指すことになるでしょう。
(11/8/2015)
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