私の嫌いな言葉「ごめんなさい」
読まれなくてもいいから思いの丈をぶつける文章
久しぶりのnoteに文章を書きます。心に辛いことがあったのですが、ここなら書きやすいので。今回書きたい内容な「ごめんなさい」という言葉についてです。
もちろん、謝罪の言葉は大切です。自分が悪かったと反省しているときにまず「ごめんなさい」という言葉を発することはとても大切だし、周りにも良い影響を与えると思います。私が重要視しているのは『とりあえず「ごめんなさい」と言っておけばいいか』というように、口癖のように出てくる「ごめんなさい」についてです。
何かあったときに、数秒も経たずに発声される「ごめんなさい」。貴方は本当に何が悪かったのか考えて「ごめんなさい」という言葉を発していますか?
これは、私の偏見になるかもしれません。「ごめんなさい」を反射的に発声する人は「『自分は絶対に正しい、他人が間違っているんだ』という前提の上で行動なり思考なり、人生そのものを生きている人」に多い気がします。私はこの「自分絶対人間」が生理的に合わないです。
私は、『自分は何か間違っているかもしれない』という前提で行動しています。何か行動したり発言したりするときに、私が批難を受けることもあります。そのときには、まず自分の行動を省みます。そして一つ一つ自分の行動を見直し、その上で修正しなければいけないところは修正し、そして必要であれば謝罪の言葉を発します。
この行動指針が、他の人に伝わらないことがあるようです。
もちろん、万人がすべて同じような考え方をしなければいけないとは思いません。さすがにそれは驕りだと思っています。
ここだけでも読んで欲しい文章
ただ、ちょっとだけ、「ごめんなさい」の言葉を発声する前に、一呼吸置いていただけないでしょうか?
それだけでいいです。その「ごめんなさい」を発する前に、ちょっとだけ深呼吸するか、思考をクリアにするか、思考を巡らすか、何でも良いです。それだけのお願いなのです。
終わりに
noteではTwitterとかではつぶやけない、ちょっとネガティブだったり、思いの丈を書き連ねたい文章を書くことが、今後増えると思います。
ここは広告もつかないし、この記事も0円にするし、チラシの裏ぐらいの気持ちで書いています。
それでも、誰かに読んでもらえたら、私の心がとても救われます。
稚拙な文章、失礼しました。
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