地元に帰る。(めぞん一刻編)

実家ネタ引っ張ります。
ぼくは実家に帰るとき、
月島に持って来ずに置いてある漫画を読むのを、
ひとつの楽しみにしている。

今回は、人生で何度読んだかわからない、
『めぞん一刻』を読んだ。

「ビートルズを語ることは、自分を語ることだ」
と、糸井重里さんが言っていた。
自分に置き換えてみると
「めぞん一刻を語ることは、自分を語ることだ」
になる。
(ビートルズを語っても、もちろん自分語りになると思うけど)

はじめてめぞん一刻を読んだのは、
中学1年生ぐらいのときだった。
前半のコメディが強いラブコメノリから、
終盤のオトナな雰囲気にガラッと変わることに
驚き、揺さぶられ、響子さんに惹かれた。

10代の頃、
わがままで色っぽいような年上の女性がタイプだったことが
あったんだけど、
あれは完全に響子さんの影響だったと思う。

大人になってから読み返したら、
響子さんはちょっとわがまますぎて、
こんな人が実際にいたらイヤだな、、と思うようになった。
きっと、ぼくもいろいろ痛い目にあって、現実を知ったのだと思う(笑)。
そのときは、五代くんに純粋に向かっていく、
女子高生の八神が健気でかわいいと思った。
それで女子高生好きにはなっていない。

そして、今回、
僕が惹かれたのは、五代くんの恋敵、三鷹さんだった。
三鷹さんは、スマートで、イケメンで、
女性にモテて、仕事も充実していて、
いつも余裕のあるオトナの男だ。

だけど、本命の響子さんにはなかなか振り向いてもらえず、
自分よりは男性的にも社会的にも劣るはずだと思っている、
五代くんとの三角関係に焦りつつ、そのことに不満を抱いている。

「私、五代さんのことずっと好きだったの」
「いつから?」
「忘れちゃった!」
という、超有名シーンがあるが、
実際、物語の後半は明らかに響子さんは五代くんに惹かれ、
三鷹さんは三角関係を作り出すためのピエロだった。

今回読み返して見て、
三鷹さんは明らかにそのことを自覚して、
そして終盤、強引に両家を引き合わせたり、
ホテルの部屋を取ったりする行動は、
負け戦に入った自分を収めるための行動だったと思う。

ぼくは数年に渡る片想いはしたことないけど、
もし三鷹さんの立場だったら、
同じような行動をとるんじゃないかと思う。
そうしないことには、誰もその三角関係を終われないからだ。

高橋留美子さんがインタビューで
「三鷹さんの引き際は、本当に大事に描いた」
と言う通り、負け戦を演じたあとの三鷹さんは
男らしく、やっぱりスマートだった。

ぼくもそろそろ大失恋とかしてていいような年齢じゃないけど、
いざそうなると、三鷹さんみたいに振舞ってしまいそうな自分を想像して、
(もちろん、スペックの高さとか強引さとか、
三鷹さんとぼくには共通点の方が少ないけれど)
「わかる、わかるよ三鷹さん…!」と共感しまくって、
実家をあとにした。

めぞん一刻を語ることは、自分を語ることなのだ。






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