編集者になる その10

31歳の異業種への転職は予想通り厳しかったけど、
それでも、転職活動は楽しかった。

活動は転職エージェントを通して行った。
エージェントがおススメしてくれた求人、
または、自分で求人を検索して応募する。
新卒採用のように、会社毎にエントリーシートを書くことはなく、
エントリーすると、
事前にエージェントに登録した履歴書と職務経歴書が志望会社に送られて、
合否が、つまり面接に進めるかどうかの連絡が届く。

職務経歴書には、新卒で入った会社のプロデューサーのことよりも、
ライターとしての活動をメインで書いた。

まず、エントリーの段階でたくさん落ちた。
ほとんどの理由は「経歴が希望と合致しなかったため」。
副業としてちょこちょこやっていたライターとしての活動は、
その会社が求めるものじゃなかったということらしい。
それはもう本当に仕方がないなと思った。

それに、合否の連絡はエントリーしてから24時間以内に来た。
経歴書に貼った僕の書いた記事は、まず読んでなかっただろうと思う。
そういうことも含めて、その場所には縁がなかったんだろうなと、
すっぱり割り切ることができた。

活動を始めて少しすると、ポツポツと面接に進める会社も出てきた。
面接までいってしまえば、あとはもう、はっきり言って楽勝だった。

前職でやってきたことは、そのまま正直に言えばいい。
退職理由は「編集者になりたい」
志望職種は「編集者」
志望動機は、その環境でやりたいこと、貢献できることを具体的に答える。
嘘も誇張も、取り繕いも必要なくて、
事実をはっきりと、できるだけ感じよく、熱意をもって伝えるだけだった。
結局、面接で落ちた会社はひとつもなかった。
(新卒採用の面接とはまるで違うので、その時の印象で面接が苦手だと思って避けている人は、ぜひ転職の面接に臨んでみると良いと思う)

会社を選ぶ上で、重視していたのは下記の2つ。
1、自分の好きな世界を扱うメディアであること
(例えば、競馬に興味のない僕は、競馬専門紙には行きたくない)
2、「師」と仰げる人がいること

1、は言うまでもないと思うので、2、について。
僕はこれまで、rockin'onの古川さん、岡村詩野さん、ほぼ日永田さん、
大学院の先生方に道を示してもらうことで前進してきた。
編集者1年生となる自分にとって、ぜったいに「師」が必要だと思っていた。

そんなタイミングで出会ったのが、
電ファミニコゲーマーの編集長、TAITAIさんによる、
佐藤辰男さん、鳥嶋和彦さんの対談記事だ。

記事からは、ビジネスマンであり編集者でもある2人のモンスターに、
果敢で緻密に取材と編集に向かうTAITAIさんの姿がにじみ出ていた。
単純にとても面白い対談記事なのだけれど、
そこには明らかに「編集の勝利」が見えた。

そして、TAITAIさんは、対談のあとがきにこんな一言を記していた。

「奇(稀)なるもの」を目の当たりにしたとき、多くの人はそれをそのままでは理解できない。だからこそ、それを理解し、共感したときに得られる面白さを、広く人々に伝える「編集」という仕事が重要となるのだ。
https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/181228

「ああ……」と思った。
僕は「奇なるもの」ではない。
でも、奇なるものを理解し、人に面白さを伝えることをしていきたい。
この人のような自覚と覚悟をもった仕事がしてみたい。
この人の元で仕事がしてみたい。
そんなことを考えて、
僕はTAITAIさんが編集長をしているメディアの編集部に応募した。

僕はこのメディアの面接で、思いがけずもうひとりの「師」に出会った。
その人は、後の僕の直属の上司となるチームリーダーで、
一次面接の面接官だった。
そのチームリーダーは、僕の書いた記事を全部読んでくれていて、
記事に対して、生きた感想をたくさん話してくれた。

転職活動のなかで、
結局、僕のたくさんの長い記事をちゃんと読んでくれたのは、
このリーダーだけだったと思う。
言うまでもなく「ああ、この人とも一緒に働きたいな」と、思った。

結局、僕は念願叶ってこの会社に入社することになったんだけど、
一緒に働きたい人が2人もいる会社に出会えたって、
いま考えるとかなりラッキーだったと思う。
転職はタイミングってよく言うしね。

でも、
出会えたのはただのラッキーだったかもしれないけど、
出会えたその瞬間を逃さなかったのは、
僕がこれまで築いてきた実績や経験や想いがあったからだと思っている。
これまでの自分の人生が、その先の道を繋いでくれたような、
そんな人生の伏線回収感を感じた、充実と納得の転職活動だった。

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