SNSと学級日誌。

先日、「SNS展 #もしもSNSがなかったら
を見に行った。

その帰り道、
一緒に行った人と自分たちのSNS体験なんかを話しながら、
恥ずかしながらも僕のmixiの日記なんかを読んでもらったりして、
mixiに登録してから今日までの、
僕のSNSライフを振り返るいい機会だった。

10年近くぶりに読んだ僕のmixiの日記は、
自己愛と自意識にまみれた
なかなかに読んでいてしんどい系の文章だったんだけど、
好きなものや好きな人に対する熱みたいなものは
いまの自分に十二分に通じるところがあったと思う。

いまも昔も、僕がSNSを通じて伝えたいのは
「この音楽、小説、映画、人、空気、時間が好きなんだ!」
「こんなことを考えている僕、どうですか?」
この2つだけのような気がする。

自分の心が動いたことについて書きたいし、
そんなことを書いている自分を、近くにいるあなたに、
見知らぬ誰かに、
認めて欲しいと思っている。
ほんとうにそれだけだ。

こんな、書くこと自体が好きで、
自己承認欲求が強い僕みたいな人間が
SNSがなかったらどうなっていたかな?
そんなことをここ数日考えていたら、
さっき、ふと中高生の頃の学級日誌のことを思い出した。

僕の通っていた中学・高校では
日直が学級日誌を書くことになっていた。

A3ぐらいの分厚い学級日誌は、
1日で1ページ書き込むようになっていて、
今月の目標、今週の目標(校長先生が決めるやつだ)
その日の各授業の内容と感想、連絡事項、
1日の感想なんかを書く欄があった。

僕は、1年に4〜5回まわってくる
この学級日誌を書くのが大好きで、
日直になったときは
空いているスペースを全て埋めるかのごとく
ときには欄外まではみ出して、
最近考えていることや好きな歌詞なんかを書き込んでいた。

高1〜高2のときの担任だった国語教師は
僕の学級日誌に赤字で返事をくれたり、
気に入ったフレーズ?に赤い波線を引いたりしてくれた。
赤線がたくさんあると嬉しかった。

高3のときにmixiが流行り始めて、
ぼくの文章欲と自己承認欲はそっちに移って行ったけど、
もしSNSがなかったら、
ぼくは今でも、学級日誌のような「書く場所」を探しだして、
思いの丈を叩き込んでいたんじゃないかと思う。

そこには、
「いいね」も「スキ」も、リツイートも、きっとない。
もちろん、あしあと機能(なつかしい) もない。
でも、学級日誌の赤い波線のような、
別のレスポンスの形は見つけられるかもしれない。

というか、僕はレスポンスの得られない場所に文章は書かない。
文章は、言葉は、誰かに届けたいって想いがあって、
はじめて生まれるものだと思っている。
学級日誌があったから、mixiがあったから、twitterがあったから
noteがあったからこそ、生まれた言葉がたくさんある。

そう考えると、もしSNSがなかったら、
きっと僕は今と違う文体で、改行とか句読点の打ち方も違って、
一人称は「俺」になってたかもしれない。
そんなパラレルな自分を想像するのは、ちょっと楽しい。

ああ、こんなことを取り留めなく書いていたら、
学級日誌のアナログな感じでまた何か書きたくなってきた。。
誰か、僕が汚い字でメモ帳に何か書いたら、
赤い波線とお返事を書いてくれる人いませんか?





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