地元に帰る。(父親編)

ぼくの父親は怖くて厳しい人だった。
理不尽なことでも怒られたような気がするし、
機嫌が悪いときは無視されたこともあった。

ぼくはずっと、父親が何を考えて生きているのか
わからなかったし、
いま思えば、きっと父親もぼくが何を考えているか、
あんまりわからなったんだろうなと思う。

大人になってからは、
法学部から国家の役人になったエリートの父親に対する
劣等感みたいなものもあったような気がする。

そんな親子関係で、
フラットにいろいろな話ができるようになったのは、
そして、
父親の言葉の奥の世界を想像できるようになったのは、
本当にここ1、2年の話だ。

今回の帰郷で、
父親を見ていてうれしい瞬間があった。

夜、家族でいった焼き鳥屋が混んでいて、
道路にせり出した半屋外の席に通された。
その瞬間から、なんだか父親が挙動不審な感じになったのだ。
「やばいな。。」ってつぶやいてもいた。

何がやばいのか聞いてみたら、
「真向かいの店、常連なんだよ。。」と。
「やばい、マスターが外に出て来た」って顔を隠してもいた。

なんじゃその理由は!と、思わず笑ってしまったけど、
でも、なんかうれしかった。
地元での飲みライフを楽しんでいる父親の姿が
思いっきり想像できたからだ。

これは父親に限らずだけど、
家族に唯一望むのは、人生を楽しんでもらうことだ。
わがままな一人息子があっさり家を出ていって、
仕事も定年退職からの再雇用であと何年働くかわからない。
そんな中で、生活のなかで楽しめるものを
ひとつでもたくさん持っていて欲しいと思っている。

正直、両親ぐらいの年齢で、
楽しみや生きる気力みたいなものがすごく少なかったり、
愚痴や悪口ばっかり言う人もたくさん知っている。
まあ長く生きていればいろんなこともあるんだろうけど、
できれば両親にはそういう風になってほしくないと思う。

だから、今回、
楽しんでいる父親の姿を見てすごくうれしいというか、
安心した。
当たり前だけど、父親には父親の生活と世界がある。
「変わった人だ」と、昔からよく言われる父親だけど、
もう人に迷惑をかけない限りは、思いっきり好き勝手やって欲しいなと思う。

家族と緑茶ハイを飲みながら、そんなことをしんみり考えていたら、
父親が隣のグループから声をかけられた。
「あの、いつもメガロス(地元のジム)のプールで泳がれてますよね?
すごい綺麗なフォームだなと思って、いつも見てます。」

父親は「いやいや、お恥ずかしいです」と謙遜していたけど、
めちゃくちゃ笑顔だった。
もしかしたら、僕より人生楽しんでるんじゃないか。。


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