104期4月度 #蓮ノ空感想文

104期 OPENING!Fes×LIVEが終わったので書くとしましょう。間に合うかな?どうかな。
2024年5月以降約3ヶ月スパンで「Term」が設定されるらしく、4月はそれのウォーミングアップのようなものだったと言えるでしょう。多分。
じゃあまあ……書くか。そのたびに。せっかく区切りを設定してくれてるんだから。
3ヶ月ごとか、まあ気が向いたら1,2ヶ月でも書くかも。
これは自覚しておくべきことだと思っているのでここにも書くのですが、蓮ノ空が今やっていることは本当に手間と熱量のかかった先にできている成果のたまもので、それを最初も最初の方から認識して追っかけていること自体がすごい貴重な時間であると。数多ある意味で2度とない時間を文字通りすごしている。
何年後かに「蓮追っかけてた3年ってすごかったよな」と酒の肴にしているのでは遅くて、今すごいことを目の当たりにしながら毎日を過ごしているんだよとなるべく自覚的であったほうがよいと思っている。
から、そのときの気持ちやオレ自身の移り変わりをも記録しておきたい。という気持ちが強い。
と言ってもこれは #蓮ノ空感想文 なので、感想を書いていきましょう。


104期になって新入生が3人増えましたね。
これはまあ、去年の4月時点で3年間を過ごすと書かれていたときから増えるだろうと思っていたし、特筆すべきことはないでしょう。

私は蓮ノ空に対して、私が見ている103期生世代の間に、新しい伝統となるものが何か始まってほしいな〜と思っていました。今も思っている。
そういう個人的な欲望もあり、最初は一年生は一年生だけで横に繋がった新ユニットを組む可能性もあるんじゃないか?と思っていました。

徒町安養寺はともかく、この時点で吟子の言葉の意味を履き違えていましたね。いや、吟子と似たような理解に留まっていると言ってもいいかも。

伝統のある部活という言葉を、オレはこの一年あまり深く考えずにきていたようで。
「既に」ユニットがあり、曲があり、衣装があり、先輩がおり、かつての大会への出場経験、戦績がある。
それが伝統と呼ばれるものの積み重ねであると。
もちろん、先輩から後輩の継承、というものは感じ取っていたし、それは蓮ノ空以外の作品でも好きな要素ではある。
「時代を超えた想いの繋がりを、私たちは伝統と呼んでいます」という言葉も印象に残っている。
でもあんまりわかってなかったや😅

繋がりという言葉の意味をちゃんと飲み込んでいなかったんだよな。
「今も続いている」ということなんだよな。きっとね。

「既に」ある、という視点は、今を点で見ている状態で、昔から今にかけてを線で見ると、それはきっと実線なんでしょう。破線ではなく。

なんかもしかしたらストーリーの中で言ったことを反芻しているだけの可能性もある。それくらい噛み砕かれていたから。これ以上何か自分の理解を混ぜて新たな表現をする必要がない。
ストーリーを読んでいるときに、逆さまのうたが無くなったのなら復活させればいいのでは?みたいなことを考えながら読んでいたけど、そういう話ではなかった。
本当に無くなってしまっていたとしたら、それは当時の部員たちが志していたものや大切にしていたものが断たれているということになってしまうのだから、伝統と呼ぶものが中身のない空虚なものになっていた。
ちょっと言い過ぎか?まあこれくらい言い切ってもいいだろう。

続いているのだから、ある。
想いが繋がっているから、残っている。
というのが、蓮ノ空の伝統なんですね。

そういう筋の通し方がすごく綺麗でした。

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