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【小説(一応児童向け)】星のプール

夏がキライ

夏が好きな子は、もっとキライ

そして……

『あの子』のことは、大大大大…大キライ!

     
      《1》

 ヒグラシたちが鳴いている声は、まるで繊細なガラス細工のようだとマコは不意に思った。そんな透明な音を聞きながら、彼女はバス停のベンチでそっと溜め息をつく。

 
 今日も全然上達しなかったな。

 
 夕方の風が濡れている髪を優しく揺らしながら、泳ぎ疲れたマコの身体を通りすぎた。

 
 こんなに頑張っているのに。

 
 2度目の溜め息をつきながら、自分の手元に視線を落とす。ビニールバックの中には濡れた水着とバスタオルが入っていて、それらに付いたプール特有のにおいがマコの鼻をツンと刺した。

 5年生の時に買い代えたプール用のバック。ここに描かれているネコは、マコの一番大好きなキャラクターだ。が、今となっては、このデザインを選んだことを心から後悔している。

 『テキトウなモノ』を選べば良かったんだ。大好きなキャラクターを大嫌いな水泳に使うなんて、あの時の自分はどうかしていた……と。

 何かのタイミングで母親にそれを告げたことがあったが、理解してくれないばかりか、『マコは面倒くさい子だね』と言われてしまった。

 いつもそうだ。母は気難しい自分よりも、陽気な兄の方ばかりを可愛がる。

「…………」

 ヒグラシの合唱はまだ続いていた。夕暮れに鳴くこのセミの声を聞くと、切ない気持ちになると気がついたのは、何年生の頃からだろう。

 もうすぐ夏休みが終わる。


《2》

 
 夏休みが明けると水泳大会が開催され、児童たちは何らかの個人種目に必ずエントリーしなければならなかった。泳ぐのが苦手なマコは、毎年自由形で参加させられている。

 児童それぞれの順位に点数が付き、最終的な合計点をクラス同士で競うのだがら、プレッシャーは長繩やリレー競技と似たようなものだ。

 今からユウウツでしょうがない。

 「…………」

 そんな大嫌いなプール授業だが、以前はマコにも1つだけ楽しみがあった。

 『あの子』の泳ぎを見ていること。

 川田エリ子

 クラスで一番背の高い女子で、手足が長く運動神経がかなり良い。

 エリ子とは5年生の時に初めて同じクラスになった。
 しかしクラスの中心的な存在である彼女と、机の上で本ばかり読んでいる自分との間に接点などできるハズはなかった。記憶にある限り、エリ子とはまともな会話をしたことがなかったはずだ。

 友達ではない。

 彼女はマコを『山口さん』と呼び、マコも彼女を『川田さん』と呼ぶ。

 そんな間柄だ。

 先生たちは、『クラス児童』を別の言い方に換えようとする時、ひんぱんに『トモダチ』という言葉を使うが、あれは「どうなんだろう?」と心から思う。入学したての1年生ならば分からなくもないが、6年生にもなれば大抵の児童……特に女子の耳にはそれが白々しく響く。
 だって自分たちは『誰がトモダチで、誰がトモダチでないか』を線引きするのが大好きなのだから。

 そんな『トモダチではない』川田エリ子だったが、彼女の泳ぐ姿を初めて見た時に、思わず息を止めてしまったのを覚えている。

 あれは小学3年生のプール開きの日。

 エリ子を始め、何人かの水泳が得意な児童が、『お手本』として全クラスの前で泳ぎを披露した。

 (すごいな、あの子!!)

 スピード感溢れるエリ子のフォームが一番キレイだとマコは素直に思った。実はプールには神様が存在していて、彼女のために真っ直ぐな『水の道』を作ったのではないか、とも……。

 同じクラスになり、プールの授業があると、マコの視線は自然にエリ子の方を向いていた。彼女の泳ぎは相変わらずキレイで、それは1つの芸術作品を見るような感覚だったのかもしれない。

 ……が、彼女に対する憧れに似た気持ちが、ガラガラと崩れる事件が1学期の終わりに起こってしまう。

 水泳の授業が終わり、更衣室で着替えていたマコに、珍しくエリ子が話しかけてきたのだ。

「ねぇ、山口さんって、泳いでいるの? 溺れているの?」

「…………」

 キライな夏が大嫌いになった瞬間だった。


《3》

 
 相手の言葉によって傷つかない方法は、自分が相手をより・・嫌うことだ。

 だからマコは夏を嫌って、プール授業を喜ぶ子も嫌って、川田エリ子のことを自分史上最大に嫌った。

 お手本を見ただけで泳ぎが上手くなるなら、誰も苦労しないよね!?     あんなことしたって、デキル子たちが、ただ調子に乗って終わるだけじゃん!! だから川田さんは私にあんなヒドイことが言えるんだ!!

 
 あんな子知らないっ!

 
「…………」

 夏休みの宿題を全部終わらせたマコは、少しでも泳げるようになる為、数日前から市民プールに通うようになった。
 本当は家でゆっくりと本を読んでいた方がいい。しかし、もうすぐ2学期が始まるのだ……と思うと、いてもたってもいられなくなってしまったのだ。
 
 エリ子に対し『知らない!』と切り捨てたマコだったが、結局自分は、誰よりも彼女のことを意識していた。

「…………」

 帰りのバスが遠くから姿を現した。


《4》

 バスはガラガラだった。乗客はマコの他には2人だけしかいない。なんとなく一番後ろまで進んだマコは、そのまま長シートの席に腰を下ろした。

 市が運営しているプールは全部で3ヶ所、うち1ヶ所はマコの自宅から徒歩圏内にあるのだが、間違ってもそこへは行きたくなかった。

 マコは外の景色を見ながら、数日前のことを思い出す。

「練習しているところを、知っている子たちに見られたくない。だからお母さん、お願い! 別の市民プールに行くバス代を出して欲しいの!」

 不本意ではあったが、母親にワケを話し、必死でお願いをしたマコ。       

 横で話を聞いていた兄が「そんなに水泳が嫌なら、北極の小学校にでも転校すれば?」とチャチャを入れたが、全く面白くなかったので、無視をしてしまった。

「マコ、分かったから」

 最終的に母はOKしてくれた。珍しく素直な気持ちになったマコが「ありが……」と言いかける。

「頑張ってね。マコは色々悩んでいるようだけど、大人になれば『自分はそんなちっぽけなことで悩んでいたんだな』って思う日が来るから……」

「…………」

 母の『有難いアドバイス』はマコをムッとさせた。そして以前に読んだ『まんがことわざ辞典』に載っていた言葉を思い出す。

 (お母さん、それ『蛇足』)

 結局のところ、母は自分の気持ちを『ちっぽけ』なものだとジャッジしたのだ。マコは母にお礼を言うのをやめ、「じゃ、往復のバス代520円よろしく」とぶっきらぼうに言って、さっさと部屋に引っ込んだ。

 

 『…………次は○○支所前、○○支所前。お降りの方は…』

 運転手のアナウンスで我に返ったマコ。

 先に乗っていた2人の乗客が、次のバス停で降車した。広い車内にはマコと運転手の2人だけ……。

 バスは貸し切り状態のように発車した。

 窓の外で動く景色は、初日こそ物珍しくマコの目に映っていたが、バスに乗る度に真新しさが薄れていくのが分かる……。

「…………」

 そんな景色を眺めながら、マコは思考を再び逆方向に戻した。

 
 我ながら可愛くない子供だと思う。

 だけど……

 こんな自分だけど……

 おじいちゃんだけは、自分のことをよく解ってくれていた。

 4年生の時に亡くなってしまったけど。

 『マコは面白い子だね』

 これは祖父の口癖だった。同じことを言っても母ならばきっと『面倒くさい』と言うはずだ。

 (おじいちゃんなら、今の私の気持ちを解ってくれるだろうな)

 学校から帰ると、いつも祖父が待っていてくれた。学校で起きたモヤモヤする出来事を話すと、絡まった紐をほどくような言葉を、いつも自分にかけてくれたっけ……。

 おおらかで優しい祖父は、たくさんの『魔法の言葉』を持っていたな……と改めて思う。おそらく読書が趣味だったからだろう。

 そんな祖父の側にいたマコが
本の虫になったのは、自然な流れだった。

 (会いたいな)

 別れの瞬間は今でも覚えている。そしてうっかりすると、今でも涙が出ることがある。バスの乗客が自分一人で良かった……とマコは心から思った。

 バスが停車した。マコが降りる予定のバス停はまだまだ先なので、誰かが乗ってくるのだろう。

 後方の扉が自動で開く。

 何気なく視線をそこへ向けたマコだが、別に大した意味はない。チラッとだけ見て、それで終わりのはずだった。しかし新たな乗客が乗ってきた瞬間、マコの両目は何かで固定されてしまったかのように動けなくなる。

「マコ、久しぶりだね」

 年輩の男性がマコに笑顔を向けた。久しぶりだ、本当に久しぶりだ。誰よりも会いたかった人なのだから、本当は『久しぶり』なんて言葉では物足りない。

「おじい……ちゃん?」


《5》

 (おじいちゃんの幽霊!?)
 
 そう思ったマコだが、恐怖は全く感じなかった。この状況を普通に受け入れている自分自身に、少々驚いてはいるが……。

 祖父はマコの横に座った。

「おじいちゃん、元気だった?」

「元気……というか、俺は死んでいるからな」

 祖父は豪快に笑う。

「マコは元気がなさそうだな」

「うん。ユウウツだよ。色々上手くいかなくて……」 

「どうすれば元気になれるのかな?」

「う~ん、そうだなー。日本から夏がなくなれば嬉しいかな。でもそれは無理だから、2学期が始まったら、秋になるまで雨が降っていてほしい」

「相変わらずマコは泳ぐのが嫌いなんだな」

「うん、大嫌い。おじいちゃんが死んでから色々あって、もっと嫌になった。それでも私は頑張って練習してるよ。なのに全然上手くならないし、お母さんたちは余計なことばかり言うし……」

「うんうん」

「ねぇ、おじいちゃん、私は本当にお母さんの子供? だって私、お兄ちゃんより可愛がられていないし……」

「お母さんはマコのことを『かしこくて、がんばり屋』だっていつも言ってるよ」

「えっ?」

「誰かさんと同じで素直じゃないから、直接マコに言えないんだろうな」

 今度はいたずらっぽく笑う祖父。

 マコはどう返答していいのか分からず、話をすり替えた。

「ねぇ、おじいちゃん、私が泳げるような魔法をかけられる? でなきゃ、プールの授業がある度に大雨を降らせるとか……」

「おじいちゃんは、ただの死人だよ。魔法使いじゃない」

「だよね」

 マコは苦笑いをして、窓の外を再び眺める。

「……でもなマコ」

「ん?」

「プールが少しだけ嫌いじゃなくなる魔法なら使うことができるぞ」

「えっ? えっ?」

 意味が分からない。

「おじいちゃんとちょっとだけ寄り道をしよう! じゃあ運転手さん、よろしく頼むよ!!」
 
 祖父は、指をパチンと鳴らすと、バスの運転手が振り向いた。

「えーっ!!??」

 運転手の顔は、人間ではなくウサギの姿になっていた。帽子からは飛び出した銀色の長い耳がピョコピョコと揺れている。
 ウサギの運転手は、右腕をビシッと伸ばし、人差し指を空に向けた。

「了解!! 出発進行!」

 運転手の声と共にバスが上に向かって傾く。車体はそのまま勢いよく浮かび上がり、空を目指して走り出した。

 最初はあっけに取られていたマコだったが、町がオモチャのように見え始めると、貼り付くように外の景色を眺め、何度も「凄い、凄い」と声を上げた。


《6》


「マコ、着いたよ」

 空を越え地球を後にすると、バスは月の上で停車した。遠くには見えるのは、さっきまで自分がいた青い星だ。

 マコはおそるおそるバスから降りる。祖父もその後に続いた。

「おじいちゃんが見せたかった場所って月面?」

「いいや、違うよ。マコ、あっちを見て」 

「?」

 祖父の言われるがままに、後ろを振り向いたマコは、目を丸くしながら歓声を上げた。

 そこにはキラキラした湖が静かに広がっていた。早速近寄ってみる。最初は水が光に反射してしていると思ったのだが、水自体が光を放っていることにマコは気がついた。

 静かに水をすくってみる。

 そして手からこぼれる光の水を、愛おしそうに見つめながら、ふっと呟く。

「『星のプール』」

 その言葉を発した瞬間、忘れていた記憶の扉が1枚開いた。

 そう、あれは2年生の時……。

 両親と兄との4人で、プールに行った時だ。

 真夏の光を受けているキラキラした水面がキレイで、「プールに星くずが落ちているみたい!」って思わず声を上げたっけ……。

 兄は「昼間に星なんてバカじゃね?」って笑ったけど、両親はニコニコ笑ってマコの感性を褒めてくれた。

 家に帰って、おじいちゃんに話をすると「マコはどうして星に見えたの?」と聞いてくれた。

「星の方が、光がひんやりしていると思うから」

 そんな答えに、祖父は目を細めて言った。

「マコ、じゃあそのプールのことを書いた絵本を、おじいちゃんと一緒に作ってみようか?」と。

 
 星のプール

 星のプールがあるのは、たかいたかい月の上。

 ぎん色ウサギがうんてんするバスにのって、しゅっぱつしんこうです。

 うちゅうへ行けば、体がフワフワうくのだから、およげない子でもだいじょうぶなんだよ。

 およいだあとは、体についた星くずをしっかりはらおうね。

 体にキラキラがのこっちゃうから。


「……………」

 コピー用紙を2つに折り、クーピーで一生懸命描いたその絵本は、祖父はもちろん、両親からも褒めてもらえた。

「……マコ、思い出したんだね?」

「うん」

「マコはあのあと、おじいちゃんにプレゼントしてくれたね。あれは一番の宝物だった」

「うん」

 マコは何度も何度も星くずの水をすくっては戻し、すくっては戻した。水の温度は心地よく、マコの内面までクールダウンしてくれているように感じる。

「マコはおじいちゃんの自慢の孫だよ」

「うん、ありがとう」

「だから肩の力をもう少し抜いて周りを見てみようか? 世の中にいるのはマコの敵ばかりじゃない。きっと味方は見つかる」

「おじいちゃん…」

「マコのこと、いつでも見ているよ」


《7》

 体がガクンと動いてマコは目が覚めた。

「!?」

 ここはバスの中。そして後方の扉が開き、祖父とは似ても似つかない老年男性が車内に入って来る。

 (夢……だったの!?)

 あんな摩訶不思議な体験、夢として片付けた方が納得が行く。だけど、マコは割り切れない何かがあった。

「んっ!」

 スマホが震えたことに気がつき、マコはポーチから本体を取り出す。

 母からのメッセージだ。

《お疲れさま。今、どの辺? 今日はマコが好きな塩からあげをいっぱい作ったからね》

「……ふ~ん、珍しい」

 口調はクールだったが、その言葉を発した口角は、自然に上がっていた。

「…あ、山口さん?」

 スマホをしまっていたマコは、自分の名前を呼ばれたことに驚き「えっ?」と顔を上げる。

「…川田……さん?」

 老年男性客に続いて、バスに乗ってきたのは、あの・・川田エリ子だった。

 更衣室での出来事の後、まともに顔を合わせないまま、夏休みを迎えた2人に、なんとなく気まずい空気が走る。

 エリ子は視線を左右に動かし、挙動不審な態度を見せたが、意を決したような表情をすると、そのままマコと同じシートに座った。

 (えっ!?)

 マコにとっては想定外だ。だって元々仲が良くない上に、あんなことを言い放った相手が隣にいるのだから……。

 よく見ると、エリ子が持つカバンには、この辺では有名な進学塾の名前が書いてあった。

「川田さん……塾だったの?」

「うん」

 気を使って会話を始めたが、ぎこちなさに変わりはない。

「山口さんは……」

 と、言いかけたエリ子は、マコが持っている。濡れたプールバックに気がついた。そこで察したのか、彼女は言葉を止める。

 その代わり……、

「山口さん! 1学期は本当にごめんなさいっ!!」

 と頭を下げた。

「えっ?」

 意味が解らない。いや、言っている言葉自体は分かるし、何に対して言っているのかも分かるけれど、なぜ今になってエリ子が謝るのかマコは解らなかった。

「私ね、頭のいい山口さんが羨ましかった」

「…………」

「あの日の山口さん、国語のテストで1人だけ100点だったでしょ? 私、あの時70点しか取れなくて、またお母さんに怒られる……と思ったらムシャクシャして」

「…………」

 何事にも自信に満ちている、クラスの中心人物……これがマコの知っている範囲でのエリ子だった。

「だからって、あんなこと言っていい理由にはならないけど……、ずっと謝りたかった。本当にごめんね」

 マコの肩がすーっと軽くなる。そして彼女への言葉が自然にこぼれ落ちた。

「川田さん、もういいよ。そんなに謝らなくても大丈夫だから」 

「良かった、なんかホッとしたよ。ねぇ山口さん、2学期になったら、プールで息継ぎのコツ教えてあげるようか?」

「あ、ありがとう」

 数十分前とは違う景色がマコの前に広がった気がする。打ち解けた2人は目を合わせて笑った。

「あれ? 山口さん、両手にスパンコールが付いてるよ」

「えっ?」

 マコは慌てて自分の手を確認したが、特に何も付いていない。

「あれ? 見間違えかな? 山口さんの腕がキラキラしていたんだけど」

「……キラキラ?」

 祖父の顔が頭に浮かぶ。

 (おじいちゃん!!)

 窓の外を見ると、半分になっている月が東の空で白い姿を見せていた。

 (…ありがとう)

 そしてマコは、自信に満ちた笑みを浮かべてエリ子の方へ向き直る。

「川田さん、それね、絶対見間違いじゃないよ!」

 そう……『星のプール』は本当にある。

 そして自分たちが入る学校のプールには、空から落ちてきた星の欠片が入っているにに違いない。


      《終わり》

 
 
最後まで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
 児童向けでいいのかな? とは思いましたが、主人公が小学生なので、絵本垢でアップしました😅

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