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いつの時代も、誰にでも・・・ただそこにある、〝普通の日々〟。<第6回>月刊浅草ウェブ【公式】メールマガジン


お寒うございます。
どうも急激な季節の変化についてゆけない、へなちょこ編集人・まい子です(笑)。
タートルネックを〝とっくり〟と云ってしまう昭和な私が最近嬉しかったのは、ホームセンターに〝湯たんぽ〟コーナーが出来ていたこと。
このハイテク時代にも、昔ながらのモノの良さが一定数の人から支持されていると知って、なんだかほっこり^^。
…さすがに湯たんぽを使うにはまだ早いけれど(笑)、北風に負けないHotな心で、今月も元気にいってみましょう!

さてさて、本題。
先月のメルマガで、10月からは今までとは少し毛色の違った記事も交えながら公開してゆく予定だと、お伝えしましたね。

ウェブを始めた当初から、いつか折を見て、目をそらさずに取り上げねばと考えていた案件が、私の中にはありました。
それは、浅草繁栄の歴史と切っても切り離せない、吉原の存在です。

昭和32年4月、売春防止法の施行により吉原遊郭の灯は消えましたが、それまでは、地理的に繋がっていた浅草六区興行街で映画やストリップなどの娯楽を堪能した男性客が、飲食を楽しみながら夜を待ち、吉原へ繰り出す…という構図があり、それが双方の繁栄を下支えしていたそうです。
また、経済面のみならず、吉原との往き来が浅草の文化面にも多大な影響をもたらしたこと、そして、ひた向きに生きる女性たちとの交流にインスパイアされて花開いた作家や芸人が数多くいたこともまた、純然たる事実。

『自分が行かねば、家族もろとも飢え死にしてしまう』…多くの女性たちがそういう運命を背負い、あの大門をくぐったのでしょう。
身を売るか、命を投げるか。究極の二択から生きるほうを選び取った彼女らの選択は尊いことであり、蔑まれるいわれはないはずです。

吉原の歴史は、哀しみの歴史。
その時代、その現場を知らない自分のような者が軽々しく触れることには、正直、大きな躊躇があります。
けれど、どんな過酷な状況にあっても、人は淡々と日常を営み、生きてゆく。そこには哀しみだけでなく、ささやかな喜びも、楽しみも、ときには大口あけた馬鹿笑いも、きっと普通にあったはず。

イイコもいればワルもいるし、イイコぶったのもいれば、ワルぶってるのもいる…。それは職業も性別も関係なく、どの世界でも同じことでしょう。今、この時を生きる私たちと、同じように(笑)。
わたしはそこに、スポットを当ててみたい。

うまく伝わるかは、解りませんが。
そんな気持ちで、浅草文化を下支えした吉原やストリップに関連する記事をこれから少しずつ、紹介してゆきたいと思います。
ほっこりするもの、刺激的なもの、考えさせられるもの…様々な角度から。真面目に、けれど綺麗ごとでもなく。
そこにあった事実をただ、写し取るように。

…そんなこんなで、新カテゴリー『浅草とエロティシズム』からの抜粋も含め、今月も編集部のおすすめ記事をご紹介!

☆少年時代の苦笑い体験を、ユーモアたっぷりに描いたエッセイ。
野一色幹夫「吉原あれこれ①」

☆演劇ライターならではの視点から探る、愉しい芸能裏話。
袴田京二「懐かしの芸能歩き⑬・見返り柳に思いを寄せて」

☆歌舞伎ファンにじわじわ人気浸透中!
絹川正巳「猿若三座⑥」

☆浅草生まれの一賢夫人、ここにあり…。
原奎一郎「浅草生まれの母」

☆気づいてましたか?実は英訳記事も更新中!!
Asakusa Engei Hall Birthday Secret Story < 9th > Asakusa Rokku Geinoden

日に日に寒さが増し、初冬の気配も近づく11月。
緊急事態宣言も全面解除となり、外出・会食の機会も少しずつ戻ってくること思いますが、どうぞ引き続き安全対策怠らず、健やかで楽しい日常をお過ごし下さい。
もちろん、バッグには「月刊浅草」、スマホ画面には「月刊浅草ウェブ」をお供に~(笑)^^♪

10月末日 編集人 ・高橋まい子










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