全てはあなたに委ねられている
結論はマルチエンディング回収のようなもので、集めれば話の幅が広がる
場所に囚われるな、自分に囚われるな 全ては無常である、それは自在である 今、その場所に相応しい自分になるのだ 今、この自分に相応しい場所であるのだ 要するに、全ては報われている
今も今、将来も今
自分自身に手を抜くな あなたは自分勝手にはならない、むしろ逆 身体の反応を無視している時点で独り善がりなのだから 身体と一緒に生きているのだ 誰よりも近く共に行く相手に敬意を払わないのは異常者でしかない 礼儀は他の誰でもなく自身の為にやるのだ他は次いでだ 気持ちの善い態度を示せよ
願いを叶える身体操作
「一緒に歩む者」それを願うならば 「あの人」などと人物を指定するのは付加価値である それは願いを全く信じていない その人が好きであればその通りで良いんだけど 指定する行為はやはり付加価値であり、願いに仇なす その人を想うならばその気持を大切にする事だ 願いは「一緒に歩む者」だから
感情はその時だけのものであり、後でその言葉を使う時にその感情はそこに存在しない、存在するかのように使ってはいけない ただし、眼の前に居る人の感情を無視してはいけない、感情はそこにあるのだから感情まで包括して考えなければいけない 同じ言葉でも変化するから横着するなよ、人間性を失うぞ
コインがあるかどうかなどどうでもよくて、それを認識するかが重要になる。 独り占めしようとするのは、視点で分離すると思っている事を示している。 それを認識した上で”見える視点”や”見えない視点”が存在するだけ。 財布の中のお金を認識してるけど、見えてるのは財布だけでしょ。
お前の全ては日常に浸透している 目隠しをすることでそれは浮き出て見える プラスとマイナスそれを同時に捉えれば零を思い出す
誤魔化さずに正しく間違えろ
素直さが活きる所だぞ
頼り頼られるそれは支え合いではなく回転 (ここで言う支え合いとは、二つの立てた棒が真っ直ぐぶつかる事を言った) 「頼る」を棒状で示すならば、縄のように二つが絡み合う事である それは”どちらか”という状態が無い状態を指している 「大地に立つ事」ではなく「大地に立てる事」が頼り頼られ
基準は万物に適応する中心にある
真理は真理故に全てに内包されている 「現実を見ろ」なんて言葉で目を背けるな
やってみて