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「声真似」「両性(両声類/不問)」の考え方〜良いの?ダメなの?〜/声劇の多様性

こんにちは、声劇ガチエンジョイ勢ヒスイです。

今回は「声真似」と「両性(両声類/不問 ※以下両性で統一)」についてです。

この記事を読んでいる方で、上記の2つに当てはまっている方、もしかしたらドキッとしたかもしれません。

正直なところ、「声真似」と「両性」は賛否両論あります。
何故賛否が出てくるのか、どう考えたらいいのかの考察を、あくまで私なりにではありますがまとめてみました。
少しでも参考になる部分があれば幸いです。

では、いきましょう!

①「声真似」「両性」の認識

本題に入る前に、まずそれぞれを私がどのように認識しているかを簡単に。

声真似
特定の人物やキャラクターの声帯模写
両性(両声類/不問)
両性は生物学上の自分の性別にとらわれずに、どちらの性別の役「も」やりますという人。
一般的には両声類の方がピンとくるかもしれませんね。

この2つのカテゴリーは全く違うものなので、別々で取り扱うべきかもしれません。
ですが、声真似や両性に対しての皆さんのTLを見ていると、感じている問題点が似ていると感じました。
そのため今回は、あえて一緒に取り扱います。


②私はどう思っているか?賛成?反対?

「声真似」「両性」ともに、私は賛成派です。
自分の経験則や感覚的な部分は大きいですが、理由は以下の3つ。

1.声真似や両性の方がやってる事はみんなやってる
「え?何言ってんの」って感じかもしれませんね。
でも、例えば成人した人が「子供」をやる時は、子供の声を思い浮かべて、それに寄せて声を作ってやろうとしますよね?
声真似や両性と比べて、特定の人物などを具体的に意識していないだけでやっている事は同じです。

2.演技の熱量が半端ない声真似主さんと出会った事がある
以前、ニコ生に凸をした時に、ある声優さんの声真似をしている方と劇をご一緒しました。
当時私も、声真似の方が声劇をやる事に、漠然とネガティブな感情を持っていました。
なので物凄く最初は警戒していたのです。
ただ実際劇が始まってみると、その方はしっかりと私の演技を聞いて下さり、物凄く熱量たっぷりの演技をされてました。
その方との劇をキッカケに、理由もなくイメージでネガティブに考える事や、「カテゴリー」一括にして考えるのは良くないなと反省しました。

3.そもそも私自身が両性で遊んでいた
声劇をはじめて2、3年くらいの間、私は両性で遊んでいました。
昔から私と一緒に遊んでた人はご存じの方も多いと思います。
理由としては2つ。
まず、私は声が低めで、少女や可愛い役に苦手意識があります。(それは今もありますが…)
でも声劇を始めたての当時は、まだ台本の種類も今ほど多くなく、女性役はヒロイン属性や中高生で可愛い女の子の役が多かったのです。
そのような状況だった為、私が自然に楽しめる女性役が少なくて寂しかったのが一つ。
もう一つの理由としては、自分の声を生かして少年・青年役にもチャレンジしたかったからです。
今は両性(不問)という文化そのものが少なくなり、両性を出すにあたり「両性とは」という説明が都度必要になってきました。
それを私が手間に感じたのと、劇の進行に遅れが生じる為、今は点呼は女性で出すようになりました。
ただ、自分がそうしたくないというだけで、他の人がやってるのをどうこうは全然思いません。
そこは誤解のないようにお願いいたします。

以上の理由により、私は賛成派です。
ですが、全部を全部肯定しているわけではありません。
いくつか懸念点もあります。
それに関しては、これからの項目に織り交ぜながら書いていきます。


③なぜ不快に感じる人がいるの?

まず不快に感じるかどうかは個人差があります。
声真似や両性が好きな人や不快に感じない人もいる事をお忘れなく!

ここに書くのはあくまで不快に感じる人の心理についての考察です。

大きい理由の一つとしては、「声劇を楽しむ価値観」の違いだと思います。

それはどういうことか?
以下の価値観の方が、「声真似」「両性」に不快感を感じるのではないでしょうか?

声劇は「掛け合いによる化学反応」「芝居を通してのコミュニケーション」などを楽しいと感じる価値観の人。

そういう人は相手の「声」を楽しみたいわけではありません。
相手がどんな風に考えてセリフを言うのかという、「演技」が聞きたいと思ってます。
そして自分のセリフを聞いて欲しいと思っているはずです。

声真似や両性で異性を演じる場合、「声を作る」事がほぼ必須になります。
(これも個人差あると思いますが…)
「声を作るのを頑張ってる人」とご一緒した時、私は少なくとも以下の事を考えます。

・台本のストーリーを楽しんでる?
・役の気持ちを考えてる?
・私のセリフをちゃんと聞いてる?

本人が演技もしっかりやってるいるつもりでも、そういう印象を与えかねません。
仲の良い人ならともかく、声劇は、特に野良でやる場合は、はじめましての方やあまり知らない方とやる事も多いです。
自分を理解している人間とばかりやるわけではありませんので誤解を生みやすいです。

実際、その場で台本が決まり、その場で決まった役を、しっかり声を作りながら演じるのは相当ハードルが高いと思います。
稽古期間があるならともかく、声劇は基本的に稽古が存在しませんので。
少なくとも私にはなかなかできません。(私が不器用なだけ説もあり)

「声真似」「両性」の方の中には、自分の思う声を作って演技をする事が楽しいと思う方もいるかもしれません。
ですが、「掛け合い」を楽しむ方にとっては、「声を作る事だけに注力」している方とは、掛け合いが成立しづらく、相互作用が生まれにくい為に、遊びづらいと感じる方も多いと思います。
それが「不快」という感情に結びつくのではないでしょうか。

あともう一つ要因が考えられますが、ここからは非常にシビア、かつ、失礼な事を書きますのでご容赦を。

「声真似」や「異性の声を出す」という行為は、自然とそれ自体のクオリティが求められます。
実際声真似が似てるのか、異性に聞こえているのかいう事です。
そして当然のことながら、似てない声真似、どう聞いても女の子にしか聞こえない男の子(逆も然り)、などは正直聞いてる方は辛いです。
音声投稿であれば、「似てないな」などと思ったら音声停止ボタンを押せば解決です。
でも声劇は劇が終了するまでは、相手の声を聞き続けなければなりません。
掛け合いをしなければならないので、特定の人間の声をミュートなどどいう事もできません。

逆にどんなに似てなくても、女の子にしか聞こえない男の子でも、相手のセリフを聞いている、演技の熱量があるなどであれば楽しく聞けますし掛け合えます。

でも掛け合いも成立せず、ただ似てない聞こえないだと、不快に感じられてしまうのも仕方ないのかもしれません。
テレビのモノマネ番組を見ていて、似てないモノマネを見たら誰だってモヤモヤすると思います。
その時の感情とほぼ同一だと考えます。

以上の2つが大きな要因かと思われます。
個人差あると思いますし、細かい事も上げればまだあるかもしれませんが、こんなところでしょうか。


④「声劇を楽しむ場」ではなくしてしまう可能性がある

この項目はどちらかというと両性より声真似に対して思う事です。

声真似は良くも悪くも目立ちます。
例えば有名なアニメのキャラクターの声真似をした場合、コメント欄が「○○(キャラクター名)にすごく似てる!素敵!」のようなリスナーのコメントで埋まったらどうでしょうか。
声真似をしている本人は楽しいかもしれません。
でも一緒に演じている人は声真似ではなく、掛け合いを頑張っている方だったらどうでしょうか?
その人からすれば、演技や掛け合いを聞いてほしいのに、「声真似を楽しむ場」に変えられてしまいます。
それはつまり、声真似をしている人だけが楽しい場という事にならないでしょうか?
リスナーが楽しんでいるんだからそれでいい、というのは少し違うと思います。
声劇で遊ぶ以上、基本的にそこは「声劇を楽しむ場所」のはずです。
お互い了承の上であればいいですが、そうでない場合は少し考えた方がいいかもしれません。

声劇に限りませんが、複数人で遊ぶ時はみんなで楽しむ事を考えないと、いずれ人は自分から離れていきます。


⑤「声真似」「両性」を楽しむにはどうしたらいいの?

冒頭にも書きましたが、私自身は声真似も両性も賛成派です。
ですが現状、人によって好みが分かれるカテゴリーである、という認識はあった方がいいと思います。

一番無難なのは、それを楽しみあえる仲間同士で遊ぶ事です。
私も特殊な遊び方をする時(性別転換など)もありますので、その時はしっかり内容を伝えた上で、それに興味を持ってくれた人達と遊びます。

もし野良でやる場合は、参加する際に事前確認をすること。
なんでそんな苦労しなければならないんだ、と思いますよね。
しかも、もしかしたら事前確認をしてNGが出る場合もあるかもしれません。
ですが、一言確認をするだけで印象が大分変わります。
「声真似」「両性」は好みが分かれると先述したように、ネガティブイメージを持たれる事が少なくありません。
常識的に遊んでいても、そのカテゴリーに属しているだけで嫌でもフィルターがかかります。理不尽ですよね。
でもネガティブなフィルターがかかったままだと、何をやっても好意的に見てもらえません。
そう思われないように予防するためにも、事前確認をした方が安全です。
事前確認をすれば「こちらの事も考えてくれてるんだ」という印象を相手に与えます。
自分を思いやってくれる相手に人は好印象を抱くものです。
よって好意的に見てもらいやすくなるのではないでしょうか。
「声真似」「両性」NGの方もOKをしてくれるかもしれません。


⑥両性をやる理由は人それぞれ

ここで少し両性について少し掘り下げます。
そしてかなり私情の入った項目になりますがので予めご了承ください。

何故両性で遊ぶのかは人によって理由が異なります。
代表的なところは恐らくこの3つではないでしょうか?

1.異性を演じるor異性の声を出すのが楽しい

2.憧れの声優さんが異性を演じてるのが素敵だと思ったから
(例:男の子を演じている緒方恵美さんに憧れているなど)

3.声が中性的、もしくは異性の声に寄っている
(例:生物学上は女性だが声が男性に近い)

※トランスジェンダー等を持ち出すと論点がズレるので、ここでは言及しません。

1と2を理由として両性をやっている方は、趣味嗜好のニュアンスが強いので、どちらかというと声真似で遊んでる方たちと感覚が近いと思います。

ですが3の場合は少々深刻です。
生物学上の性別とご自身の持つ声の性別が一致しづらい方が極稀にいます。
女性だけど男性の声に聞こえたり、男性だけど女性の声に聞こえたり。
声だけじゃ性別が判別できない場合もあります。

私も声が若干中性的なのでわかるのですが、声の問題はやはり大きいです。

「声劇」は相手に与えられる情報が「声」しかありません。
「生物学上女(男)だから女(男)を演じたい、でも声だけじゃどうしても女性(男性)らしく聞こえない…。」と悩み事も多いでしょう。
それは周りがどんなに声は気にしないと言っても本人は気になるものです。
私だってどんな声だとしても、どんな役も自由にやった方がいいと他人には思えるのですが、自分の事となるとそう思いづらいのです。

その悩みに縛られると、自分の性別の役がやりづらくなります。
自分の生物学上での性別で遊べないというのは致命的です。
それでは折角の声劇も楽しめなくなります。
だから、いっそ異性を演じるという選択肢を広げ、自由に遊べるようにしているのです。

すみません、私自身が両性で遊んでいた事もあり私情がかなり入ってます。

ですが、両性をやる人には色々な考えがあるかもしれないという事だけ、なんとなく頭のほんの片隅にでも置いて頂けると嬉しいです。

⑦私が実際に「声真似」「両性」の方と一緒になった時は

ここまで色々と書いてきましたが、私が枠やボイコネで部屋を立てた時、「声真似」や「両性」の方たちが参加してくれた場合にどうするかは、正直なところケースバイケースです。
賛成派ではありますが、全てを受け入れるかどうかはまた別の話です。
「声真似」「両性」の方とご一緒したいなと思う時もあれば、今回は違うなという時はあります。
なので場合によっては参加をお願いしたり、お断りする場合もあると思います。
(両性の場合はお断りというより、生物学上での性別で演じるようにお願いをすると言った方が正しいです)

ただそれは別に「声真似」「両性」というカテゴリーだけの話ではなく、なんでもそうです。
初心者の方や全く知らない方と遊びたい時もあれば、気心しれた仲間で遊びたい時もある。
コメディ台本をやりたい時もあれば、シリアス台本をやりたい時もある。
そういう感覚と一緒です。

私も両性で遊んでいた時期、両性を出してよいかの事前確認をしてましたが、「両性NG」を出される枠主、部屋主の方は多かったです。
確かに寂しいなとは思いましたが、そういうものです。
NGを出した方は何も悪くはありません。

自分が合わせる時もあれば、相手に合わせてもらう時もあるのです。
そう考えた方がいいと私は思います。

⑧声劇はどんどん多様化している

もともと声劇は自由な遊びです。
ですが、声劇の認知度が年々広まり、遊ぶ場所も人口も増えてきました。
ボイコネの参入でますます活性化してきてます。
それにより沢山の価値観が生まれ交差しています。

マナー違反や規約違反は明確にやってはいけない事です。

ですがそうでない限り、ハッキリとダメな事などありません。
声真似をしようと異性を演じようとアドリブを沢山しようと自由なのです。
それが自分の好みに合うか合わないかの問題でしかありません。

自分の遊び方やスタイルを自由に選んでいいし、いつどんな人と遊ぶかも自由です。
色々な価値観が生まれる遊びである以上、この遊び方はOK、でもこっちはNGというような事を、私はあまり言いたくありません。
もし自分が不快だなと思ってもそれは「声劇に対する楽しいの価値観が違う」と考えてます。
大事なのは「お互い違う価値観を持っている」という認識をそれぞれが持つ事です。

私も今でも男性役で遊ぶ事はありますし、アドリブもよくします。
そういうのが合わない人がもしかしたらいるかもしれません。
でも私は私の楽しいと思う価値観を大事にして遊び続けます。
それを許容してくれる人達と遊べばいいのです。
どんな遊び方やスタイルだとしても、探せば必ず自分にあった場所があるはずです。
もし新しい場所や別の場所で遊ぶ時は、お互いの価値観をすり合わせり、譲り合ったりしながら遊べばいいだけの話です。

多様性が強くなっている今、自分の価値観の合わないものを頭ごなしにナンセンスと決めつけ、ネガティブのイメージを持つ、それこそがナンセンスだと私は思います。


以上となります。
いかがだったでしょうか?

前の記事でも書きましたが、私は価値観が沢山生まれる事は、そのコンテンツが豊かになりますし良い事だと思ってます。
「声真似」も「両性」もその多様性のうちの一つです。

確かに摩擦が起きると辛いですが、思わぬ発見もあったりして辛い事以上に楽しい事が沢山あります。
多様性を受け止められるようになると、良い発見ができるようになり、自分自身の成長にも繋がります。

声劇の為もモチロンですが、自分自身の為にも、この多様性をもっと楽しんでいきたいなぁと思う私です!


というわけで、「声真似」と「両性」の記事のはずだったのに、多様性の話にまで広がってしまいました(笑)
でも書いてて楽しかったので良し!

こんな感じでまた声劇に関して考えた事をまとめていきたいと思います!

それではまた次回!

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