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遅れちゃいましたね

どうも、22小道具セクション員です。最初で最後の作業場日誌になります。引退ですよ。あっという間ですね。振り返れば執行代以降、なんか妙な立場にいたおかげでいろんな経験ができて、関わらんだろうと思っていた分野の知識もいっぱいつけてもらいました。最近は大学の授業の方でも自分に強制する形で学び始めて、知るうちに初めて面白さに気付いて、ああ、私って無知だったんだな、となる感覚が癖になってきた人間です。
 さて、「おとな」についてですね…高校を卒業して、大学生になって、それまでとは質の違う経験を色々するにつれ、おとなになっていく過程では、他の人に大きな影響を与えられるような力がつくもので、その力で誰かを幸せにすることもできるようになるんだけど、それと同時に誰かを傷つけられる力もついてきてしまうものだと分かってきて。しかも自分視点では普通に振舞っているつもりでも、意図なんて無関係に嫌な方向に事が進んでしまうなんていうのは現実的に存在しまくる話で、しかもそれが自分一人では抱えきれないものになってしまって目を逸らしたくなることの方が多くて、だからといってその力を失うことなんてできなくて。だからこそ、(自分のことも他の人のことも守るために、)不本意に他人を抑圧してしまいかねない自分を知ってそれを考慮しながら行動する責任を持つ術を手に入れることがおとなになることなんだなあと思っていたら、(教職取るつもりは全くないのに興味本位で取っている)教職科目で、教師になるにあたってということでそういう類のお話をちょうどされました、ちゃんちゃん。
 おとなになるってそういう意味では「演じる」みたいだなと思うのだけれど、子どもが演じるのと違うのは、それをするのが自分だけのためなのではなく、場合によっては自分の欲求まで削って他の人のためにそうし続けるものなんだろうなということで。
 そういう観点で見ると、うちの父親がおとなとしてはすごくよくできた人なんですよね。悪いことは見逃さずに叱り、しかも行動改善に至ることを第一に画策しているため仮に見た目では激昂していたとしても奥底には冷静さを残しているし、中立役となるべき時は冷静に中立役に回ることに徹底できる。帰省のたびに車で丸二日かかる行程を一切文句を言わず一人でずっと運転している、仕事その他の愚痴を家族に一切溢さずに、心身ともに健康でいられるために趣味を楽しむという行為に自分のために使える分のお金を最大限活用できている、隠すべきことをふざけた感じでごまかせる、お酒は付き合い程度しか飲まず、酔っても若干(母親レベルでないと素面の時と区別がつかない程度に)陽気になるだけ。
 おとなに近づいて責任が降ってくるにつれ、それが我々子どもたちが生まれてこのかた例外なく続いてきたのが尊敬通り越して怖くなってくるんですよね。誰が相手でも悪いことを叱ることなんてすっごく難しいし、文句を溢す素振りを微塵も見せないって数年くらいは耐えられてもずっとは無理だよ…。畏怖。一体何があったらそんな風になれるんですか…完全におとなになれた暁にはそうなれるっていうんですか??
 そんでもって私はそういうことをすることを苦にさせない子でいられたんでしょうか…
 まあ、彼は、これこれされて嬉しかっただとか、そういうところになかなか素直にならないってこと知ってますのでね。母親からちゃんとリーク済みですから。私たちのことすごく大事なんじゃんねぇ。あーかわいい。そうですね、見えないようにしてきたであろう彼の苦悩に応えて、これからは彼に恥じない生き方くらいはしていこうと思います。
 というわけでですね、何日か遅れの父の日のメッセージでした。
 誰かを愛して日々奮闘するすべての人に幸あれ~

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