見出し画像

旅じゃない恥も掻き捨てたい

新歓劇をご覧くださった皆様ありがとうございました。従業員B(秋月雫/カンパネルラ)役を務めた德留雪月です。
役者をやるのも はや3回目。少しは芝居が板についたでしょうか……。毎度役者をするたびに、自分の行動原理や思考回路を見つめ直してキャラクター(あるいは作演さんか?)のそれと比較するとき、その断絶を乗り越えるのにかなりの努力を要します。今回は「ショッキングな出来事があったときわたしはどう反応するか」という部分でカンパネルラとは露骨に差が出ました。交感神経の働きに闘争・逃走反応というのがあった気がしますが、Fight or Flightと呼ばれるこの反応にはじつはもう一つのFが存在するようです。Freeze。固まってしまうこと。わたしはこのタイプだったみたいで、Flightできない!どうしよう!と頭を抱えていました。どうにかしてキャラクターの行動原理や思考回路を分析し再現方法を見出さなければならない、そのために1人黙考したり他人と話し合ったりするプロセスは毎度のことながら人の心理に奥深く分け入る冒険であり、まだ気づいていなかった「わたし」をまた1人見つけてあげるための「自分探しの旅」です。ある意味。

「自分探しの旅」って本来実際どこか遠い場所に単身旅行して未知に触れる中で自分と向き合う的なモノだと思っているのですが合っていますかね?なにせ私は旅や旅行なるものがあまり好きではないのでそういった営みとは縁遠いのです。計画立てたくないしチケットとか予約とか面倒だしお金かかるし新幹線クサいし飛行機耳痛いし何より人がいっぱい!旅行、イヤ!なんなら帰省すらちょっとハードル高い!どこでもドアを寄越せ。
子どものときはこうじゃなかったはずなんです。いえむしろおでかけ大好きでした。なんでだろう。他人によりかかれるからかもしれないです。なまじ大人になってしまうと自分で自分の旅の責任を取らないといけない。移動の間も気が抜けない、それでどっと疲れる、とこういうわけなのでしょう。人生みたい。
が、旅には「一時停止」の機能があるとも考えています。時間に追い立てられ、責任にがんじがらめにされる日常を一時停止し、知らない場所で最低限の責任だけを抱えてたたずむ。これへの憧れは自分の中で結構大きいかもしれません。
雫はこれから大人になろうという年齢で悲しくも亡くなってしまった人なのですが、自分ですべてを決め切るにはきっとまだ幼くて、それで13年間マスターによりかかる形で銀河鉄道に乗り続けたのかもしれません。ずるずると下車を先延ばしにしてしまったのかもしれません。妹との再会を機に下車(=2度目の死)を決意したのは、前々から準備していたことなのでしょうか。旅の終わりをどこかで分かっていたのでしょうか。乗車している間は、死という目的地までの保留期間に過ぎなかったのか?
わかりません。でも、彼女の2度目の旅が、これまで銀河鉄道に迷い込んだであろう数々の人の旅と交錯し、影響を与えあったと考えると、決してそれは逃避ではなく、むしろ彼女にとっては善いことだったのかなと思います。

わたしも、自分の旅に疲れたら満天の星空の下であの列車に思いを馳せたい。ときに逃げ出したくなっても、立ち止まってもいいんだと、いつでも迎え入れるよと、悠久の時を旅する彼らは言っている気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?