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入口の一歩手前から振り返って

夏公演ではいろいろな役をやってました、23藤咲です。実は新人公演でも1人2役をやっていたのですが、まさか1人〇役の〇の部分の記録更新、しかも倍になるとは思っていませんでした。人生何があるかわからないものですね。限られた時間の中で全く別の人間に見せるというのは難しいし完璧にできたとも思えないけれど、いろいろと工夫するのは楽しかったです。

さて、突然ですが私は音楽を聴くのが好きです。かれこれ10年近く応援しているボーカルグループがいて、最近はほとんど彼らの曲を聴いています。

最近、彼らが2016年に発表した曲を久しぶりにじっくり聴く機会がありました。故郷を離れ都会に住む主人公が、久しぶりに故郷に帰る道中でいろいろなことを振り返る歌。発売された当時は私はまだ実家暮らしの小学生、そして今はその歌の主人公と同じように都会で一人暮らしをしています。実家の周りは関東圏と言えどなかなかに田舎の部類、近くに大学は少なく、交通の便も良いわけではない。地元の大学に進学しない限り大学生になったら一人暮らしをせざるを得ない、というのは、その歌を聴き始めた当時でもなんとなくわかっていたような気がします。大学生になったら一人暮らしというのは、私にとってはそこまで遠くはない現実でした。

そうであっても、当時の私にとってその歌の歌詞はやっぱり遠い存在でした。起こり得る未来に恐らく近いのであろうということはわかるけど、画面の向こうの世界みたいな。しかし、一人暮らしを始めて1年と少し。久しぶりにその歌を聴いたら、歌詞に対する印象が大分変わっていました。全ての言葉が私自分の経験を振り返っているかのように感じる感覚。画面越しの言葉でも、誰か他人の言葉でもなく、ものすごくリアルなことのように感じられました。

年を重ねていくって、こんな経験の繰り返しなのかなと思っています。周りの大人がやっていたり、歌の歌詞や物語の中で描かれていたりして、半分フィクションのように感じていた世界が、自分自身の現実として目の前にやってくる。考えてみれば、小学生の時、画面越しに存在を知るだけだった彼らのライブに今は時間とお金と運が許す限り参加できるようになったし、後部座席で両親が運転しているのを見るだけだった自動車に今自分が乗ろうとしている(免許取得は苦戦中ですが)。

そしてその分、その時感じていた現実は過去のものになっていってしまう。小学生の時21時、遅くとも22時に寝てたなんて信じられないし、高校生の時どんなスケジュールで1日を過ごしていたかさえなんとなくしか思い出せない。大好きだったけど今全く見ていないものだってあるし、地元にいた時毎日のように話していた友達とも年に数回会うくらい。仲が良かったけど今全く連絡を取らなくなってしまった友達だってたくさんいる。大好きだったものが遠くに行ってしまうと感じるたびに寂しくなってしまうし、仕方がないことだと分かっていても少し抗いたくなってしまう。

フィクションだと思っていたものが現実になって、それが過去になって、自分の元から離れていってしまう。年を重ね、年齢的には大人に近づいていくにつれて、そんな儚さを感じるようになりました。

プリズムでの活動も私にとってそんな現実の1つです。大学生になってすぐに見た舞台と同じ場所に自分が立って、先輩についていくだけの後輩だったのがいつの間にか後輩に教える立場になって、夏公演が終わって、そして自分を導いてくださった先輩方の旅立ちを見送ろうとしている。最後のは、現実になってほしくないと思っていました。今でも思ってます。しかし時間は過ぎ去ってしまいます。それならば、来年の今頃「プリズムからの旅立ち」が自分にとっての現実になるまで、敬愛する先輩方が繋いできてくださったプリズムを守って、精一杯活動していきたい。そうやって手元にある間の時間を少しでも満たすことができれば、離れていくときの寂しさも少しは和らぐのでしょうか。そうであることを願います。

以上、あと一か月足らずで20歳の誕生日を迎える私が書く「20代になりては」でした(まだなってないけど)。ここまでお読みくださりありがとうございました。


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