見出し画像

これからやって来る世界

朝から強い風が吹いて「春が来るぞォ!」って、知らせてくれてますが。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
私はやはり、春が近づいてくると、亡くなったパートナーのことを思い出してしまいます。
病院のそばに、道路に沿って長ぁく続いてる公園があって、そこの桜がちょっとずつ色づいていくのを眺めながら会いに行ったせいか…。
私の中で、桜とパートナーがヒモづいてしまっていて。
こんなふうに、春の予感が運ばれてくると、ついつい切なくなっちゃうんですよねぇ。
いろいろあったけど、やっぱり思い返してみるとホント私、彼に救われてたし、支えられてました。
いまになって、つくづく、そう思います。
もうすっかりワンネスに帰ってしまってるかもしれないけど、そばにいてくれて、どうもありがとう。

さて、話を変えますね。
先日、自分自身の中で引っくりかえりが起きたので。
私、現実の中で引っくり返りが起きるのも、もう間もなくだと思っていて。
実際、世界がどんどんそっちへ向っているように私には見えてます。
というのも私、以前のようにガツガツと情報を求めなくなってきてて。
なぜかというと最近「私にとって必要な情報は、見付けようと必死にならなくたって自然と入ってくるもんだよね」と安心していられるようになったからです。
これって、説明するのが難しいんですけど…。
「すべては必然であって、“たまたま”なんて存在しない」ってことが、自分自身の体験から信じられるようになったことが大きいかなと思います。
これがあるから、何というか、情報に対して「うかうかしていられる」ようになった。
そして、そんな状態にも関わらず目に入ってきてくれた情報にしても、すべてを持っとこうとするのではなく。
「ピンときた」ものだけをメモリに入れとけば、満足できるようになった。
だからねぇ、情報に対して逃げ場のない状態ではなくなったっていうかなぁ、焦りが消えちゃったんです。
で、そんな私の中に残った情報を改めて見てみると、近々、引っくりかえりが起きるとしか思えない状態になってるわけ。

私、これまでの「社会」なるものに、どうにも馴染めなくって。
それでも「どうにか馴染まなきゃ」と、自分を捨てて頑張ってみたけど、やっぱりダメで。
正直もう、この世界に私のいられる場所なんてないのかなぁ、と思ってたくらいなんですけど…。
これからやって来る世界はそれとは真逆で、「自分らしくある」ことに価値を見出せる、自由な世界であるように私には見えています。
その中で、これまでのように「お金」のためなどでなく、自分自身の「充実」や「喜び」のために生きていけると思うと…。
もう、楽しみで楽しみで、しかたありません。

だけど会社を辞めてすぐのころ、感じたんですけど。
「自由」って実は、恐いものでもあるんですよねぇ。
というのも、会社にいたころは明快な「目的地」が与えられてて、それに向って進んで行けばよかったけど。
ここから先の自由な世界では「何しても、しなくてもいいよ」と放置され、目的地なんてどこにもない。
それって、慣れてないと、恐いとすら感じちゃうもんなんですよ。
だからきっと、新しい世界を居心地悪く感じちゃう人もいるでしょう。
でもねぇ私、人間ってそもそもが、自由な存在だと思うんですよ。
だからきっと、いずれは誰もが、新しい世界を楽しめるようになる。
だって子どものころは、みんな時間を忘れて、やりたいことに夢中になっていられたわけですから。
プライドも、「こうあるべき」も、みんな捨てて。
素直な、子どもの頃の自分に戻ればいいんです。
そうすれば、自分の中から自然とわいてくる「これ、やりたい!」に、夢中になれるはずなんです。
そこに向ってカウンセリング中の私も、まだまだ道半ばではありますが。
きっとできるようになると、信じてます!

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
コメントも、お気軽にどうぞ!

では、最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?