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いまは、これでいい。

私が体験している私の世界では、旧いシステム、旧い通貨が終わろうとしていて。
待ちに待った、より良い世界への移行準備が徐々に始まりつつあります。
それにともない、当然ながら人々の意識も変わってゆくはずで…。
つまりいまって、私たちの意識が変わり始めてるタイミングなんですよね。
もちろん、すでにあらかた変わり終わっている人もいれば、まるで変わってない人もいるわけですけど。
きっとねぇ、外側の変化には気付けてない人たちの中にも、無意識のうちに変わり始めている人は少なからずいるんじゃないかなぁと思います。
で、私自身もいま、少しずつ新しい世界に見合った価値観へと変わって行ってる最中で。
カウンセリングを通し、インスピレーションを下ろしてくれる存在とつながれるようになって、様々な気付きを与えられてきたし。
これからもますます多くの気付きや、体験をしてゆくことになるのだと思います。

でね、何が言いたいのかというと、誰もが変わってゆくんですよ。
うーむ、誤解を生むかもしれないのでおことわりしておきますが「私が経験している私の世界では」ってことですからね。
もちろん、その外側にはこれまでどおりの世界に、変わりなく居つづける人たちも存在するんだろうとは思いますけど。
そういった人たちとはもう、私は関われなくなっていると思うので、私が体験している私の世界では存在してないのといっしょなんです。
ちょっと話は逸れますが、それがねぇ、きっと二極化ってことなんじゃないかなぁ…。
変化してまったく新しい世界を生きてゆく人たちの世界線と、変化することなくこれまで通りの世界を生き続ける人たちの世界線とが分かれ、ここから先、住み分けてゆくことになるのではないかと私は感じているわけです。
もちろんこれ、どっちがいいとか悪いとかいう問題ではなく、単純に好みの問題に過ぎませんのでお間違いなく。
ということで話を戻すと、私が語ろうとしてるのは「変化して新しい世界を生きてゆく人たちの世界」に限った話で。
そこの住人たちは例外なく、誰もが変わってゆくってことです。
だとしたらいまさら、旧い価値観でモノ言ってもしょうがないよなぁ、って感じるんです。
いや、私自身がこのnote、あるいは物語をいま積極的に「書こう!」って思えない理由を深掘ってみて、たどり着いた答えがこれなんですけど。
脱ぎ捨ててゆくことになる旧い価値観に、まだ立っているいま、その限りある視点でモノ語ってもしょうがないよね、って思うわけです。
もちろん引っくり返りに向けて変わって行っている最中のいまは、おそらく二度と来ることのない、大事な大事なタイミングだとは思うんですけど。
いまの話を書くにしても、これから来る新しい世界の価値観を持ってないと、ストーリー全体を見渡すことができないから。
結局、中途半端になっちゃう。
だからね、いまは、ダイナミックに動いてゆく外側の出来事を楽しみつつ。
それによって自由に反応する、「なり」の自分を楽しむことで。
変化に集中してれば、それでいいんだと思います。
…というか、いいことにしようって決めました。

そう割り切ってみたら、不思議なことに、自分の中が「しーん」と静まり返ってきて。
答えを求めて右往左往していた思考が止まり「常に建設的であらねばならない」っていう、なかなか消えてくれなかったブロックも、弱まってきた感じがします。
やっぱり「自分に許す」ことって大事だなぁ、と思う今日このごろ。
うまくみなさんに、伝わっているといいのですが。

では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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