普遍性のワナ
なんか最近、思うんですけど…。
「普遍的」なものって、ホントにあるんでしょうか?
私ずっとあると思ってて、必死で見付けようとしてきたんですけど。
もしかしたらそんなもの、ハナっから存在しないんじゃないかって思えてきました。
だって、私たちは誰もが唯一無二の個性を持っていて。
その個性を通して見る世界は同じように見えて、みんながみんな違うわけで。
だとすると、誰の目から見ても同じものなんて、存在し得ないし。
私たちは常に変化していて。
変化こそが宇宙だと言ってもいいくらいに、一瞬たりとも同じでなんていられないのに。
「不変なものがどこかに存在するはず」って探し続けるのは、時間とエネルギーのムダ遣いなんじゃないかな?って。
もちろんこれは、私が感じてることに過ぎませんから、信じてもらえなくてもぜんぜんいいんですけど。
私たち、自分で感じてるよりずっと、自由な存在なんじゃないですかね?
一人ひとり違って当たりまえ、一瞬一瞬違って当たりまえなわけだから。
昨日までとは、ガラリと好みが変わったっていいし。
昨日まで大好きだったことが、今日は大っキライになったっていい。
よくネットの中で「あのとき、ああ言ったじゃないか!」って、鬼の首でも取ったみたいに誰かを責め立てている人を見掛けることがあるけれど。
それ、当ったりまえのことなんですよ。
逆に、いつまでも同じまんまでいるほうが不自然なんです。
だから、何したっていいし、何言ったっていい。
同じ個性なんて、ふたつと無いんだから、みんなに合わせる必要もない。
誰もが、自分のやりたいことを好きなように、好きなだけやってればいいんです。
なんだか私、こころの底からそう思えるようになってきました。
でもこれってきっと、非常識な考えかたの箱に、分類されちゃうんでしょうね。
「そんなことをしたら社会が成り立たないじゃないか!」と怒鳴り出す人も、当然いると思います。
だけど、これこそが「価値観の違い」なんですよね。
この世界には多様な人々がいるんだから、様々な価値観があって当然。
いろんな価値観の人たちが、ひとつところに入り乱れて存在してて当然。
だから、自分とは違う価値観の人たちを、受け入れ共存してゆくのが自然だと思います。
でもこれ、ついこないだまでは私も、うまくできませんでした。
「こうじゃなきゃいけない」や「こうであるべき」がじゃまをして、受け入れることができなかった。
受け入れるどころか、自分の価値観を相手に押し付けようとまでしてました。
これこそが「普遍性」のワナだと思います。
誰しもに共通した、たったひとつの真実、たったひとつの概念、たったひとつの道徳があって。
私たちはおしなべて、それを守らなきゃいけない。
振り返ってみるとこれでもかというくらい、行く先々でそう、刷り込まれてきました。
答えはたったひとつであって、それ以外を書いたら全部バツ。
個性を封殺する教育、タブーなるものでがんじがらめになった社会…。
でもそれホントに、私たちの現実に即してるんでしょうか?
本来の私たちはとっても多様で、とっても自由な存在のはずなのに。
「こうじゃなきゃいけない」や「こうあるべき」でしばっているのは、いったいぜんたい誰なのでしょう?
私はついに、そうじゃない生きかたをカウンセラーに教えてもらったので、もう自分で自分をしばることなく、本来のありかたどおり自由に生きていこうと思います。
いっち抜っけたっ、と。
ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。