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「分り合う」という幻想

私、完全に思い違いしてました。
そうか、私、人と「分り合う」ことを望み続けてきたから苦しかったんだ。
やっぱり結局、親との関係性を引きずってしまうもんなんだなぁ人間って。
ホントそれはもう、イヤってほど思い知りました。
でもそれにしても、よくできてるなぁ、この「人生」ってゲーム__。

ホント、人ってさまざまなんですよ。
いろんな人がいるし、いろんな人がいていいんです。
みんな全員が、宇宙に祝福されて生まれてきて、それぞれの大事な大事な人生を生きてるわけです。
自分だけのストーリーに、いつだって魅了されてる。
だから「分り合う」ことを求めてしまったら、途端に苦しくなっちゃう。
これは「設定」と言ってもいいくらい自明なこと、…というか「ルール」として認識しとかなきゃいけないことなんです。
で、多くの人は大人になる過程でそれを自然と、無理なく認識できるんだろうけど。
残念ながら私は、できなかった。
だから大人になっても、どんなに共通項がない人にも、必ず「分り合う」ことを求めてきてしまった。
だからこれまでずーっと、苦しかったんだ。
ようやく、理解できました。

しかもそれに加えて、どうも私、かなぁりなマイノリティらしく。
身近に、ひとつでも共通点がある人を探すのすら、難しい状態。
つまり、周囲はほぼほぼ「共通点のない人」ばかりって状態なんです。
もちろん同じマンションに住んでるとか、行動範囲が似通っているとかはあるので、あいさつくらいは難しくはないのですが。
ちょっとでも価値観をにおわせるような話をされると、ほぼ共通点が見付けられず、途端に何を言っていいのか分からなくなっちゃう。
あるいは、人がそういった話を始めると「私も理解してもらわなきゃ」と、なぜか追い詰められたような気持ちになっちゃう。
これは先日も書いたとおり、子どもの頃に日々「親に理解してもらわなきゃ」と、自分を追い詰めていた結果ですよねぇ…。
ところが、そもそも共通点がない人が、私を「理解しよう」なんて姿勢で接してくれるはずがないんです。
なぜなら私以外の人たちは、人と「分り合う」ことなんて求めてないから。
だから、どんなに必死になって説明したところで、意味ないんです。
実際これまでの経験を振り返っても、興味すら抱いてもらえずに、いなされるくらいがせいぜいだった気がします。
私そのたびに落ち込んで、数時間、長いときには数日間もそのことばっかり考えちゃってました。
それって明らかに、エネルギーのムダ使いですよねぇ。
だから、一人になってやりたいことをしようと思っても、そのためのエネルギーが残ってなかったんだと思います。

なので私もこれからは、他の人たちと同じように「分り合う」なんて幻想を抱かないようにしようと思います。
私のことを「理解してもらおう」もそうだけど、相手のことを「理解しよう」にも、これまでの私は必死になってきたけど。
もうこれからは、どちらの欲求もキッパリと手放し…。
代わりに相手の、“自分との違い”を受け入れたうえで、どうするか判断していきたいと思います。
価値観がまるっきり合わない人とは、いっしょにいてもお互いに消耗するだけだから「離れる」って判断をしていいし。
合わなくても興味を引かれる部分を持ってる人とは、多少の消耗は覚悟したうえで、うまく関わっていけばいい。
違う人間なんだから、理解されなくて当たりまえ。
理解できない部分があって当然なんだから、それ込みで、どうするか考えればいいんです。
人とは、いっしょにいてもいなくても、どちらでもいい。
いちばん肝心なのは、いつだって「どうすれば私が気分よくいられるか?」のほうなんです。
私は人のために生きているのではなく、自分のために生きているのだから。
この激動の時代に、私だけの人生を楽しむために生まれてきたのだから。
人は二の次、胸を張って自分のやりたいことに、目を向けていこうと思います!

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では、何があってもおかしくない日々を、楽しんでいきましょう!

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