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私たちの本質

いよいよ来ました1月31日、時差があるとはいえ、やっぱりドキドキします。
私はもはや「よくしかならない」と、こころの底から思えていますが。
それでも三次元的視点で見れば、よくなるまでの過程では、一見「よくないこと」と思われることがそこここで起きるだろうことは予想できます。
システムは混乱するだろうし、人心が乱れることもあるかもしれません。
でもそれはあくまで、よくなるまでの過程に過ぎません。
前にも書きましたが、終わって、始まるタイミングが来ているんです。
新しい世界は、いったん前のシステムが終わらないと、始まれない。
このことをぜひ、覚えておいてください。
もうすでに肌感覚で「きっとよくなる」と感じられている方も、少なからずいるはずです。
その感覚を無視せず、信じてください。
いまの私たちにいちばん求められているのは「信じること」だと、私はいま、強く感じています。

何度も言ってきましたが、私たちが経験している現実は、私たちがつくっています。
私たちの、いま現在のメンタリティによって、これから体験することが大きく変わってくるんです。
このことを腑に落とすのは、私自身も大変でしたが。
「信じよう」と決心さえすれば、タイムラグはありますが必ず、信じることができます。
そして、ちょっとでも信じることができるようになれば、信じざるを得ない現実が起こってきます。
目に見えない世界は、あるんです。
こんなことを言うと、キチガイ扱いされて、離れていく人もいるかもしれないけど。
それでも、言います。
私たちはエネルギーであり、意識なんです。
そして、いまのメンタリティを持続させるような現実を、次から次へとつくり出しています。
だからいつだって、大事なのは「いまを気分よく生きること」です。
そうすれば自然と、心地よい未来をつくり出していくことができます。
たとえ外側でどんなことが起きていても、そのメカニズムは決して、変わることはありません。

取っ掛かりになるよう、ひとつ象徴的なことを書きます。
肉体は死んでも、意識は続きます。
育つ過程で「死」は恐ろしいものだと刷り込まれ、それを信じ込んでしまっているだけのことで。
私たちの本質(魂)は、永遠に死ぬことはないんです。
私はこの目でパートナーの死を看取りましたが、身体から出た後も、意識はそれまでどおり続いていたはずです。
私にはそれを見る力はありませんが、身体という制約から解放され、ホッとしたような空気は感じ取ることができました。
ですから「死」は、恐れる必要なんてないんです。
「今生」という映画を見終え、元いた場所へと戻るだけ。
ワンネスの世界へと、帰ってゆくだけなんです。
一回でも誰かの「死」に向き合えば、肉体を脱ぎ捨てる過程を余すところなく見せてもらうことさえできれば、誰もが自然とそのことに気付けるはずなのに…。
その貴重な機会さえ、私たちはいま「医療」なるものに奪われてしまっている。
その不自然さに、どうか気付いてください。
それに気付くことができれば、これから私たちが目にすることが、どんな存在の終焉なのかがきっと理解できるはずです。
そして私たちの意識のパワフルさ・美しさにも気付くことができ、必ずや胸を打たれることになるでしょう。
私たちがいま直面しているのは、そういったことなんです。
どうか恐れるのではなく、楽しめるメンタリティでいてくださいね。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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では、分りにくかったかもしれませんが、一人でも受け取ってもらえる方がいれば私は大満足です。

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