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本当の自由

「あぁ私もう、何からも縛られてないんだ」と、ついさっき気付きました。
ここ三年弱続いてきた疾病騒ぎは、私にとって、これに気付くためのものだったんだと思います。
たとえば私はもう会社員じゃないので、会社独自のローカルルールに従う必要はないし。
ずっとイヤだった満員電車に乗っての出勤も、しなくていい。
「どこそこ社の誰々」なんて、枕ことばに行動を制限されることもないし。
平日の昼間は会社にいなきゃいけない、なんて決まりもない。
いつ、どこで、何をしててもいい。
自分より優先しなきゃいけないものなんて、何ひとつない。
それが、いまの私なんです。

その代わり収入はないので、いつまでもこれが続けられるかといえば、そうじゃないし。
気軽に外食に誘えるような、身近な存在もいない。
ただ、だからこそ何からも縛られず、正真正銘の自由でいられている。
はずなのに…。

フタをされた箱の中に長く閉じ込められていたノミが、フタを取っても箱から飛び出さなくなるように。
手綱をつながれたと思ってしまった馬が、実はつながれてなんかいないのに、逃げようとすらしないように。
ついさっきまでの私は、まるで自分から進んで縛られようとするかのように、不自由さに甘んじようとしていました。
不自由さ、すなわち依存。
教育によってくり返しくり返し刷り込まれた不自由さは、私に「大勢に従う」ことを強いていたんです。
「みんながしてるから、私もする」
もはや世界じゅうで、日本だけが取り残されているマスク社会は、その最たる事例だと思います。
「いまは必要」「いまはいらない」といった、判断を放棄して。
「みんなしてるから、私もする」を、延々とし続ける。
そのことによって、誰も出した覚えのない指示が、子供たちから「食べる楽しみ」を奪い続けているにも関わらず…。
もはやエサは出てこないのに、延々とレバーを押し続けるパブロフの犬みたいなものです。

でもここにきて、私はようやく「何からも縛られてないんだ」と、気付くことができました。
だから、後生大事に握ってきた手を、いまこそ開こうと思います。
自由に生きても、誰からも排斥されることはないんです。
そうすることで、たとえ誰かから嫌われたとしても、あらゆる人に背を向けられるわけじゃない。
世間の99.9%に嫌われたとしても、0.1%好いてくれる人がいるなら、その人たちと共に生きる。
それで、いいんだと思います。
これまでの私のように、100%の人に好かれようとして自分を曲げ、相手に合わせるようなことばかりしていても、楽しくないですもんね。
これからは唯一無二の私を決して曲げず、似たような価値観の人たちとだけ、手を取り合って生きていこうと思います。

こないだ、久しぶりに電車に乗ったら、同じ車両に私以外に二人もマスクしてない人が乗ってて。
ちょっと、嬉しくなっちゃいました。
そうやって、少しずつではあるけど世の中も、変わってきているのを感じます。
いまこのタイミングだからこそ、私と同じように、自分が自由な存在なんだと気付かれた方も多いのではないでしょうか?
ぜひ、それを隠そうとせず、胸を張って自由に生きていきましょう。

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ではみなさん、今日もよい一日をお過ごしくださいね!

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