お金のこと
100日間チャレンジ(いまでは110日間)の、7日目。
これまではずっと避けてきたんですけど、今日はちょっとバーゼル3の締切日でもあるので、お金のことを書いてみようかなぁ。
うーむ、まぁたイヤぁな体感が出てきたけど、気にせずいきますね。
私、お金っていうのは、エリートたちが世界規模で「価値」って概念を統一するためにつくり出したツールだと思ってるんですよ。
そもそもの出どころはロスチャイルド一族が、商人たちから金(Gold)を預かるときに出した「預り証」だ、なんて言われてたりしますけど。
そんなものは絵空事で、人々を支配するため、周到に考え抜いてつくり出されたものじゃないかと私は考えてます。
なぜなら本来、私たちって、人によってまったくバラバラな価値基準を持って生まれてきているはずなんですよ。
だって、この世界にはこんなにもいろんな人がいるんだから、いろんな価値基準があるほうが自然なはずですよね?
ところがそれでは、支配する側が管理しづらい。
たとえば、私たちを手なづけようにも、欲しているものがバラバラだと何を与えて買収すればいいか分らないでしょ?
だから民族性や慣習を超え、世界じゅうのあらゆる人々が欲しがる対象をつくり出す必要があった。
そこで考え出されたのが、お金なんじゃないかなぁと思うんです。
まぁ、これだって視点を高くして見れば、地球ゲームの設定とも言える部分ではあるものの。
三次元的に言えば、そのようにしてつくられたものなんじゃないかと、私は考えているわけです。
だからそもそもがお金って、多様性を奪う方向にバイアスが掛かった存在なんですよねぇ。
言いかたを変えれば、欲しがれば欲しがるほど個性が奪われるというか…。
「支配⇔被支配」構造を構築するための方便である資本主義社会に、知らずしらずのうちに、取り込まれるような建付けになってるんです。
極言すればお金って、人々を「マス」に取り込むためのものってことです。
マスっていうのはつまり「大衆」ですよね、「多数派」というか。
みんなが同じ服を着て、同じことに興味を持って、同じものをほしがるみたいな世界観に、人々を閉じ込めるためのツール。
逆に言うと、私のような「アウトサイダー」に対する排斥と侮蔑を定着させるためのツール、って言ってもいのかもしれません。
ちょっと、横道に逸れちゃいましたけど…。
何が言いたいのかって言うと、つまりお金ってのは、存在自体が不健康なものなんだってことです。
特にこの日本ではその構造が際立ってますよね、給料の半分以上が税金で持ってかれて、ほっとんどの人が「不足」ってフィルター越しに、お金を見てるわけだから…。
先日も言った「欠乏のエネルギー」がはたらいた状態で、お金に接しちゃってるんですよ。
一方で「お金がほしいほしい」と欲しがりながら、もう一方で「ないないない」って、持ってないことのほうにフォーカスしちゃってる。
この構図だと、どうしたって「お金がない」って現実が続いてくことになるのを、うまく利用されちゃってるわけです。
これはねぇ、これから徐々に種明かしされてくでしょうけど、とにかくひどすぎる状況だったわけです、長らくのあいだ、この日本では。
何度も言いますが「これまでの日本が地獄そのもの」だったんです、世界じゅう、どこよりも悲惨な。
なのに日本人は真面目だから「しょうがない」って、不満を飲み込んできて、それもまた、いいように利用されてきたってことですよ。
もちろん、こんなことを指摘してる私だって決して例外などではなく、お金に対していくつもブロックを抱えてました。
「損⇔得」って概念に振り回されたこともあるし、お金を使うことが親に対する恐怖と結びついてて、特にお金がなくなったら親に頼らなきゃいけないって、動けなくなるほどおびえてました。
ただ私の場合は、不幸中の幸いで、親を反面教師にできたんですよねぇ。
たまたま親が自分の価値を稼ぎでしか測れないと思い込んでる人だったので、それを見て育った私は「お金がほしい」って思えなくなっちゃった。
不思議だよなぁって思います、お金を使うことや、お金がなくなることは恐くて恐くて仕方なかったのに。
いっくら振り返ってみても、心底「お金がほしい」って欲求を持った記憶は、見付からないんですよ。
まぁ、よっぽど、親のようにはなりたくなかったんでしょうねぇ。
でもそのおかげで資本主義社会に馴染めず、非人道的な日本の現状に気付くことができたので、そこだけは親に感謝しなきゃいけないかもしれません。
そして、お金ってものの正体に気付くことができた、いま…。
お金をめぐってのブロックからはほぼ、解放されたような気がしてます。
いや実際、長らく私、収入のない状態で。
貯蓄もすでに、底を突いてマイナス領域に入ってるんですが。
自分でもおもしろいくらい、不安も恐怖も、感じてないんですよ。
だって、引っくり返りさえすれば、誰もがお金のストレスから開放される世の中が来るわけだし。
仮に引っくり返りが来なかったとしたら、そんな世界ではもう、生き続けたくないので。
ま、「神さまに必要とされれば生かされるんだろう」って、完全に身をゆだね切ってる感じです。
私以外にもそういう人、実は結構、いるんじゃないでしょうか?
とはいえ私は、引っくり返りはもう、すぐ目の前だって信じてますけどね。
では、もしも最後まで読んでくれた方がいたら、ありがとうございました。
また明日。
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