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アンビバレント

日本で本格的にコロナが始まって、ちょうど半年後くらいに始めたカウンセリングの過程で。
ことあるごとに、自分の中にアンビバレントを見付けてきました。
ホント、これでもかってくらい次々に見付かって「私の中ってアンビバレントの宝庫だな」と、最初は感心してたんですけど。
そりゃそうですよねぇ、この三次元は「二元性」でできてるんだもの、相反する二つの要素が同居してて当たりまえなんです。
ちなみに「二元性」っていうのは、陰と陽、善と悪など、相反する二つの極を持った構造のことで。
三次元にいる以上、私たちはこの両極間の、どこかにしか存在できないんです。
光と影で考えれば分かりやすいですけど、影の部分がないと光って認識できませんよね?
同様に私たちも、虚と実のあいだにしか、存在できないんです。
つまり物質としての「肉体」と、目に見えない「こころ」という二極間の、どこかにしか存在できない。
もちろん私の中の思い込みや認識も、片側の極だけでは存在できないから。
多い少ないの差こそあれ、相反する二つの要素が混在しているのが当たりまえなんです。
たとえば、つい先日、見付けたんですけど。
私、一方で「人から共感してもらいたい」と渇望しつつ、同時に「人に共感されるようなものの中にオリジナリティはない」と断じていました。
そのうえで「エポックメイキングなものをつくらなきゃいけない」と、自分を追い詰めてきたんです。
そりゃ、苦しいはずですよねぇ。
ずっと「どうしてやりたいことができないんだろう?」と、歯がゆい思いが消えなかったのもうなずけます。
こんなアンビバレントが、私のクリエイティブな部分に、フジツボみたいにびっしり張り付いてました。
「じゃあそのアンビバレント、どう解決したらいいのよ?」って思いますよねぇ。
私も途上なので、仮説ではありますが、2つの解決策を考えてみました。

ひとつは、「どっちでもいいや」って思えるようになることです。
たとえば上の例で言えば「共感されたらそりゃ嬉しいけど、別にされなくたっていいや」と、心底思えるように自分を持っていく。
そのためには「エポックメイキングなもの」ではなく、「自分の書きたいこと」や「つくりたいもの」をつくるんだって思うようにするのがいいんじゃないかなって思います。
つまり私の場合、人との関係性にブロックがかたまってあるので、対象を「他者」から「自分」に置き換えることで解決できるんじゃないかな、と。

もうひとつはつい昨日、思い付いた方法なんですけど。
両方の極から、同時に離れること。
すなわち両極間を離れ、別の方向に行く意識を持つことです。
これはニコラ・テスラの「369の法則」を当てはめると分かりやすいんですけど、長くなるのでぜひご自分で調べてみてほしいんですが。(トップの画像で、図解しときますね。)
3と6の地平を飛び出し、9の方向へと上昇する意識を持つってこと。
すると三次元を超越できることになって、二極には縛られなくなるわけです。(もちろん意識のうえでってことですけど…)

まぁ、「私の中にこんなアンビバレントがあったんだぁ」って気付くことができるだけで、かなり楽になるはずですから。
まずは、自分の中をしっかり見ることが大事なんですが。
そこが大変そうで、なかなか思い切りが付かないんですよねぇ。
私もそうだったから、よく分ります。
ただ、ここまでマジでキツかったけど。
私は、やってよかったなってこころから思ってます。
言えることは、それだけかな。

では、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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