「はっきりと」形式:エッセイ 2017/11/05

2017/11/05「はっきりと」


「言いたいことがあるならはっきり言え」

恋人に何度こう言われたかわからない。言われる度、ほう、と思う。
この一文からは色々な意思が汲み取れる。まず、相手は言いたいことがあり、それを何らかの理由で言っていないということに確信があり、それを自信と怒りを込めて伝えてきている。次に、「はっきり言え」というところから汲み取れる、思ったことを「はっきりと」相手に伝えることこそ正義にして正解、というこれまた断固とした自信である。確かに、「言いたいことがあるならはっきり言え」という一文は非常に「はっきりと」している。
しかし私の場合、会話の中でこの一文が登場する局面において、「はっきりと」した意見を持つことと、「はっきりと」相手にそれを伝えることは別問題なのだ。私は「はっきりと」した相手に対する意見を持ち、「はっきりと」、相手にその思いを伝えないという意思を持っている。相手が感情的になっていて、私の意見を聞き入れる気がない場合は、相手の意見を聞き入れてその場をいさめることを優先としてしまうからだ。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
この一文にあるのは、相手と対等の議論をしようという友好的な姿勢ではない。「なんでも言ってみろ。私の言うことが気にくわないんだろう?論破してやる」という、本人も「はっきりと」は自覚していないであろう攻撃的な下心なのだ。

高校生のときの、忘れられない出来事が思い出される。
高校生活三年間クラスが一緒だったエミちゃんは、勉強も運動もできて、顔も芦田愛菜が順調に高校生になったようなキュートな童顔、スクールカーストのてっぺんに君臨していた。
そんなエミちゃんがある日、日本史の授業でスマホをいじっていて、それを日本史の先生に取り上げられてしまった。エミちゃんはあからさまに不服そうだったが、学校一おっかない日本史の先生を前には黙っているようだった。次の時間は男性の担任による数学の授業で、担任が教室に入ってきた。担任は教室に入ってくるなりエミちゃんの席に歩み寄った。日本史の先生から、彼女のスマホを没収したことを報告され、更に放課後謝りに来るようにという伝言を受けたということをエミちゃんに伝えた。このとき、終始彼女が担任を睨み付けているのを、隣の席に座る私は恐々としながら眺めていた。担任が喋り終えたその時である。エミちゃんは目の前の担任に向かって、力一杯叫んだ。

「お前が今すぐ取り返してこい!」

教室が静まり返った。
彼女は一転の曇りもないレーザー光線のような視線で担任を睨み付けている。彼女が着席していて、恰幅のいい男性担任が彼女を見下ろすように立っているという構図であったが、まるでそれが逆のように感じる。彼女は小さな体をもって、遥かに下の角度から、担任を見下しているのだった。
どう考えても、スマホを取られたことはエミちゃんが悪いのではないか。日本史の先生、エミちゃん、担任、それを見ていた周りの生徒たち、そこにいなかった全宇宙の生命体・・・その中で、エミちゃんひとりが悪いと言えるようなことなのだ。しかし、彼女の態度には「はっきりと」した、スーパークリアな、私は悪くない、私が取りに行く義理はない、お前が指図するならお前が取り返してこい、という思いしかないのだ。その眼光に、言葉に、声に、ほんの少しの下心もないのだ。
私はマジカヨ・・・と思いながらも担任の反応をそっとうかがった。怒ったら日本史の先生にも負けず劣らず迫力のある担任だ。教室の誰もが同じ反応をしていたに違いない。

担任はあろうことか、エミちゃんのスマホを本当に取り返しに教室を去ったのだった。

真に「はっきりと」した純粋な思いほど、人を動かしてしまう説得力のあるものはないのかもしれない。
私も見習いたいと思いつつも、今日も「レシート要りません」が言えなかった。










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