「向き合うこと」綾咲希

ラストになるであろう、自由創作作品が届きました!お楽しみください!

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昨日、卒業公演が終わった。

幼い頃から舞台に憧れていた。お友達が出ているミュージカルを見に行っては、自分も入りたいと母親に懇願した。首を縦に振ってくれるまで、7年かかった。

14歳、初めて立ったミュージカルの舞台。憧れていた舞台は、なんだか、自分がいてはいけない場所のように感じた。
なんか違うな、そう思って、せっかく入った劇団を1年半で退団してしまった。

それでも、やっぱり舞台への憧れは捨てられなかった。
そんな時に出会った、小劇場。劇団時代のお友達のお姉さんが出るということで、何気なく見に行った、中野にある某劇場。
それまで、劇場というと、ふかふかの絨毯に、ふかふかの常設椅子があって、広い舞台があるものだと思っていた私にとって、箱みたいな空間に、パイプ椅子が並んでいたその光景は、衝撃だった。

私がやりたいのって、これかもしれない。
でも、本当にやりたいのかな。
ずっと決められなかった。
やりたいと言い出せなかった。

月日は経ち、大学受験を考えなければならない17歳。
舞台に立ってお金を貰うことは自分には出来ないとはなから諦めていた私は、裏方を目指すことにして、そういったことを学べる音楽大学を受験した。

結局、入学式すら行かずに退学した。

学校が嫌いだった。
学校が嫌いな自分が嫌いだった。

そんなある日、大阪芸術大学を知った。
テレビや舞台で見ていた、古田新太さんの母校だと知った。
宝塚歌劇が好きになっていた18歳の私は、大阪に憧れていた。
大阪に住んでいれば、毎週のように宝塚に観劇に行ける。そう思った。
けれど、大阪芸術大学は山奥。ググってみたら、宝塚まで片道2時間。
ここはダメだ。別のところを探そう。
そうやって調べていると、大阪芸術大学には短期大学があることが分かった。
リンクを開く。
兵庫県伊丹市……
伊丹って、伊丹空港の所だ。
伊丹空港から宝塚って30分くらいだ。
あ、ここに行こう。
もしかしたら、自分に合う学科なんてないかもしれないのに、直感で決めていた。

怪訝な顔をする両親を、幼い頃から父親との口喧嘩、もとい、ディスカッションで培った口撃力で説き伏せて、無事に受験を決めた。
その当時は、舞台の裏方、制作に行くよと嘘をついていた。
芸短では、舞台芸術コースの中で身体表現と舞台制作に分かれていたので、嘘をつきやすかった。
でも多分、バレていたんじゃないかな、と最近思っている。

始まるはずだった、輝かしい2年間。
コロナ禍で、中々始まらなかった。
初めての一人暮らし、友達0人で、知らない場所で正味2ヶ月、日用品の買い出し以外はほとんど出かけないまま過ごした。
宝塚歌劇も、2020年3月9日以来、約4ヶ月間上演がなく、アルバイトも受からず、家の中で悶々と過ごしていた。

やっと始まった大学生活、Zoom授業からのスタート、友達は増えない。
2020年6月、やっと一部の実技科目だけが対面授業になり、入学試験日以来、初めて大学に行った。同じような境遇の友達が出来た。

少しずつ、段階的に始まった大学生活。社会不適合者の私にとっては、案外ちょうど良かったのかもしれない。
学校に行けた経験より、行けなかった経験の方が多い私にとって、ちゃんと学校に行けていることが奇跡のように感じた。

初めて受けた演技の授業。
憧れていた小劇場で活躍している、現役の演出家の先生から直接教えていただける贅沢な環境だった。
演出家、という仕事をちゃんと知ったのはこの時だった。
先生のことを尊敬すると同時に、自分もこういう仕事がしてみたいと思う瞬間があった。

元々、舞台に立つこと、ひいては、目立つことがあんまり好きではなかった私は、舞台に立つことと同じくらい芝居に向き合えて、けれど、舞台に立つことは決してない、演出という仕事に惹かれていった。

1年の時は必ず舞台に立たなければならなかったから、とても緊張した。覚えたことのないくらい分量の多いセリフに悪戦苦闘した。
どうやったら覚えられるのか、未だに分かっていない。卒業公演のセリフも、どうやって覚えたか分かっていない。どうしてほとんど間違えずに本番を乗り切れたのかも分からない。

2年になり、生徒だけで作品を決めて、演出も生徒がして、作品を作り上げる授業があった。
演出はしたことがなかったが、やってみたいと思い、やりたい作品を出し、演出を出来ることになった。
夢にまで見た初演出、本当に大変だった。
一生分病んだし、一生分泣いた。
元来、社会不適合者で、一般常識はかろうじてあれど、どちらかというと人に嫌われやすい性格なこともあり、中々チームがまとまらず、引くほど病んだ。そんな病む?ってくらい病んだ。毎日何度も泣いていたし、1ヶ月かそこらで6kg体重が落ちるくらい何も食べられなくなった。
でも、自分が初めて作り上げた舞台を見た時、本当に感動した。
一シーン一シーン、終わる度に、涙が零れた。
終わらないで欲しい、終わって欲しくないと泣いた。
この瞬間があるなら、いくらでも頑張れると思った。
私は、この仕事をするために生まれてきたんだなと思った。

初めて、夢を持った。
演出家になりたい。いや、なる。
それだけで稼げるようになるのは、本当に難しいというのは分かっている。けれど、見つけてしまった。自分が本当にやりたいことを。
ちゃんと、親に嘘をつかずにやりたいと言えることを。

芸短での2年間で、直接学んだことは、主に演劇に関することだが、自分にちゃんと向き合うことも学んだ。
芝居は、自分と向き合わないと出来ない。
役と向き合うということは、自分と向き合うということだ。自分と向き合わなければ、決して役作りは出来ない。
自分が嫌いだった私は、自分のことが嫌いなままではあるが、きちんと向き合って、理解してあげる事が出来るようになった。

コロナウイルスに翻弄される2年間だったが、本当に実りある2年間だった。
与えられた物を、どう活かすか。そんな言葉が浮かぶ2年間だった。

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後書き

勢いで色々と書きました。
ちょっと酔ってます、酒にも、自分にも。
それでは、またいつかどこかで。

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