日米修好通商条約を解説してみた
日本國米利堅合衆國修好通商條約(日米修好通商条約)
場所:江戸
年月日:1858年7月29日
備考: 安政五年戊午六月十九日
出典: 舊條約彙纂,第一卷第一部,外務省條約局,13‐29頁.
[全文]
安政五年戊午六月十九日(西曆千八百五十八年第七月二十九日)於江戶調印(日、英、蘭文)
萬延元年庚申四月三日(西曆千八百六十年第五月廿二日)於華盛頓本書交換
帝國大日本大君と亞米利加合衆國大統領と親睦の意を堅くし且永續せしめん爲に兩國の人民貿易を通する事を處置し其交際の厚からん事を欲するか爲に懇親及ひ貿易の條約を取結ふ事を決し日本大君は其事を井上信濃守岩瀬肥後守に命し合衆國大統領は日本に差越たる亞米利加合衆國のコンシュルゼネラール、トウンセント、ハルリスに命し雙方委任の書を照應して下文の條々を合議決定す
国名が日米和親条約の「帝国日本」と違い、「帝国大日本」になっています、大君とは天皇の尊称でもあります。しかも、大君と大統領との間で締結する条文で書かれています。これは驚きですね。
(大君は英文で「tycoon」と表記されます)
ちなみに、前回の日米和親条約では「亜墨利加合衆国と帝国日本」でした。
第一條
向後日本大君と亞米利加合衆國と世々親睦なるへし
日本政府は華盛頓に居留する政事に預る役人を任し又合衆國の各港の內に居留する諸取締の役人及ひ貿易を處置する役人を任すへし其政事に預る役人及ひ頭立たる取締の役人は合衆國に到着の日より其國の部內を旅行すへし
合衆國の大統領は江戶に居留するヂプロマチーキ、アゲントを任し又此約書に載る亞米利加人民貿易の爲に開きたる日本の各港の內に居留するコンシュル又はコンシュラル、アゲント等を任すへし其日本に居留するヂプロマチーキ、アゲント並にコンシュル、ゼネラールは職務を行う時より日本國の部內を旅行する免許あるへし
○今後日本とアメリカは友好関係を維持する。
○日本政府はワシントンに外交官をおき、また各港に領事をおくことができる。外交官・領事は自由にアメリカ国内を旅行できる。
つまり、日本人はアメリカ国内において自由に行動が出来ます。
○合衆国大統領は、江戸に公使を派遣し、各貿易港に領事を任命する。公使・総領事が公務のために日本国内を旅行するための免許を与える。
アメリカ人は日本国内を旅行する為には免許(許可)を必要とさせます。
第二條
日本國と歐羅巴中の或る國との間に差障起る時は日本政府の囑に應し合衆國の大統領和親の媒と爲りて扱ふへし
合衆國の軍艦大洋にて行過たる日本船へ公平なる友睦の取計あるへし且亞米利加コンシュルの居留する港に日本船の入る事あらは其各國の規定によりて友睦の取計あるへし
○日本とヨーロッパの国の間に問題が生じたときは、アメリカ大統領がこれを仲裁する。
これにより、植民地化の恐れは皆無になります。なにせアメリカが仲裁に入りますから。
○日本船に対し航海中のアメリカの軍艦はこれに便宜を図る。またアメリカ領事が居住する貿易港に日本船が入港する場合は、その国の規定に応じてこれに便宜を図る。
日本人の海外渡航の制限はありません。
第三條
下田箱館の港の外次にいふ所の場所を左の期限より開くへし
神奈川 午三月より凡十五箇月の後より 西洋紀元千八百五十九年七月四日
長崎 午三月より凡十五箇月の後より 西洋紀元千八百五十九年七月四日
新潟 午三月より凡二十箇月の後より 西洋紀元千八百六十年一月一日
兵庫 午三月より凡五十六箇月後より 西洋紀元千八百六十三年一月一日
若し新潟港を開き難き事あらは其代りとして同所前後に於て一港を別に撰ふへし
神奈川港を開く後六箇月にして下田港は鎖すへし此箇條の內に載たる各地は亞米利加人に居留を許すへし居留の者は一箇の地を價を出して借り又其所に建物あれは之を買ふ事妨なく且住宅倉庫を建る事をも許すへしと雖之を建るに托して要害の場所を取建る事は決して成ささるへし此掟を堅くせん爲に其建物を新築改造修補なと爲る事あらん時には日本役人是を見分する事當然たるへし
亞米利加人建物の爲に借り得る一箇の場所並に港々の定則は各港の役人と亞米利加コンシュルと議定すへし若し議定し難き時は其事件を日本政府と亞米利加ヂプロマチーキ、アゲントに示して處置せしむへし
其居留場の周圍に門墻を設けす出入自在にすヘし
江戶 午三月より凡四十四箇月の後より
千八百六十二年一月一日
大阪 同斷凡五十六箇月の後より
千八百六十三年一月一日
右二箇所は亞米利加人只商賣を爲す間にのみ逗留する事を得へし此兩所の町に於て亞米利加人建家を價を以て借るへき相當なる一區の場所並に散步すへき規程は追て日本役人と亞米利加のヂプロマチーキ、アゲントと談判すへし
雙方の國人品物を賣買する事總て障りなく其拂方等に付ては日本役人是に立會はす諸日本人亞米利加人より得たる品を賣買し或は所持する倶に妨なし○軍用の諸物は日本役所の外へ賣るへからす尤外國人互の取引は差構ある事なし此箇條は條約本書爲取替濟の上は日本國內へ觸渡すへし
米並に麥は日本逗留の亞米利加人並に船に乘組たる者及ひ船中旅客食料の爲の用意は與ふとも積荷として輸出する事を許さす○日本產する所の銅餘分あれは日本役所にて其時々公けの入札を以て拂渡すへし○在留の亞米利加人日本の賤民を雇ひ且諸用事に充る事を許すへし
○下田・箱館に加え、以下の港を開港・開市する。
神奈川(但し、神奈川開港6か月後に下田は閉鎖)、長崎、新潟(新潟の開港が難しい場合は近くの他の港を開く)、兵庫、江戸、大坂。
○これら開港地に、アメリカ人は居留を許され、土地を借り、建物・倉庫を購入・建築可能である。但し、要害となるような建築物は許されない。このため、新築・改装の際には日本の役人がこれを検分できる。
○アメリカ人が居留できる場所(外国人居留地)に関しては、領事と同地の役人がその決定を行う。両者にて決定が困難な場合は、日本政府と公使の討議によって解決する。居留地の周囲に囲い等を作ることなく、出入りを自由とする。
○江戸・大坂には商取引のための滞在(逗留)は可能であるが、居留は認められない。
○両国の商人は自由に取引ができる。役人が介入することはない。
○日本人はアメリカ製品を自由に売買し、かつ所持できる。
○軍需品は日本政府以外に売ってはならない。但し、日本国内において他の○外国に軍需品を売ることは可能である。
○米・麦は船舶乗組員の食用としては販売するが、積荷として輸出することは許されない。
○日本産の銅は、余剰がある場合にのみ、日本政府入札品の支払代金として輸出可能である。
○在留アメリカ人は、日本人を雇用することができる。
各所の開港は認めるものの、アメリカに対してかなりの制限を設けています。(しかも、日本側はアメリカ製品の自由売買を認めてさせています。)
第四條
總て國地に輸入輸出の品々別册の通日本役所へ運上を納むへし
日本の運上所にて荷主申立ての價を奸ありと察する時は運上役より相當の價を付け其荷物を買入る事を談すへし荷主若し之を否む時は運上所より付たる價に從て運上を納むへし承允する時は其價を以て直に買上へし
合衆國海軍用意の品神奈川長崎箱館の內に陸揚し庫內に藏めて亞米利加番人守護するものは運上の沙汰に及はす若し其品を賣拂ふ時は買入る人より規定の運上を日本役所に納むへし
阿片の輸入嚴禁たり若し亞米利加商船三斤以上を持渡らは其過量の品は日本役人之を取上へし
輸入の荷物定例の運上納濟の上は日本人より國中に輸送すとも別に運上を取立る事なし亞米利加人輸入する荷物は此條約に定めたるより餘分の運上を納る事なく又日本船及ひ他國の商船にて外國より輸入せる同し荷物の運上高と同樣たるへし
○輸出入品は、全て日本の税関(運上所)を通すこと。
○荷主の申請に虚偽の疑いがある場合は、税関が適当な額を提示してその荷の買取を申し出ることができる。荷主はその値段で売るか、あるいは提示金額に該当する関税を支払う。
○アメリカ海軍の装備品を神奈川・長崎・函館の倉庫に保管する場合は、荷揚げ時点で税金を支払う必要はない。但し、それらを売る場合には所定の関税を支払う。
○アヘンの輸入は禁止する。もしアメリカ商船が三斤以上を持ってきた場合は、超過分は没収する。
○一旦関税を支払った輸入品に関しては、日本国内の他の場所に移送した場合に追加の税金をかけてはならない。
○アメリカ人が輸入する荷物には、この条約で定められた以外の関税がかけられることはない。
ここで輸出入の際には必ず税金を課すことを決めています。
関税率は本文ではなく附則である貿易章程で決めています。
税率は輸入税は漁具、建材、食料などは5%の低率関税で、それ以外は20%、特に酒類は35%の高関税です。そして輸出税は5%とします。
20%は欧州諸外国と同率の関税です。また、ワイン輸出が主軸のフランスにとって、この酒税35%が後の日仏修好通商条約で大打撃となります。
5%の食料・日用品は飢饉対策として低関税で対応しています。(ちなみに、植民地状態にあった清国は5%・インドは2.5%)
問題の関税自主権が無いことについては、これだけの高関税率なので特に問題無いと思われます。
実際に不平等状態になったのは、薩英戦争、下関戦争後の1866年6月に幕府が英・米・仏・蘭と結んだ関税軽減を骨子とする協約(改税約書)で、輸出入税5〜35%の従価税を課していたのに対し,この協約で4ヵ年平均価格を原価とする一律5%の従量税に改正されます。
つまり、薩摩藩、長州藩が起こした戦争の賠償金代わりで改定した条約が不平等と言われる内容になります。
第五條
外國の諸貨幣は日本貨幣同種類の同量を以て通用すへし、(金は金銀は銀と量目を以て比較するを云)雙方の國人互に物價を償ふに日本と外國との貨幣を用ゆる妨なし
日本人外國の貨幣に慣されは開港の後凡一箇年の間各港の役所より日本の貨幣を以て亞米利加人願次第引換渡すへし向後鑄替の爲め分割を出すに及はす日本諸貨幣は(銅錢を除く)輸出する事を得並に外國の金銀は貨幣に鑄るも鑄さるも輸出すヘし
○外国通貨と日本通貨は同種・同量での通用する。すなわち、金は金と、銀は銀と交換できる。
○取引は日本通貨、外国通貨どちらでも行うことができる。
○日本人が外国通貨になれていないため、開港後1年の間は原則として日本の通貨で取引を行う。(従って両替を認める)
○日本貨幣は銅銭を除き輸出することができる。外国の通貨も輸出可能である。
これは後の通貨問題(日本国外への金の大量流出)に発展します。
当時の日本では『貨幣の価値というのは、素材の価値ではなく、それを幾らとして扱うのかという社会的な約束』と認識されていましたが、海外のレートからは若干割安になっていたみたいです。最終的には万延元年遣米使節が米国フィラデルフィアの造幣局にて、実験と交渉の末に解決します。
第六條
日本人に對し法を犯せる亞米利加人は亞米利加コンシュール裁斷所にて吟味の上亞米利加の法度を以て罰すへし亞米利加人へ對し法を犯したる日本人は日本役人糺の上日本の法度を以て罰すへし日本奉行所亞米利加コンシュル裁斷所は雙方商人逋債等の事をも公けに取扱ふへし
都て條約中の規定並に別册に記せる所の法則を犯すに於てはコンシュルヘ申逹し取上品並に過料は日本役人へ渡すへし兩國の役人は雙方商民取引の事に付て差構ふ事なし
○日本人に対し犯罪を犯したアメリカ人は、領事裁判所にてアメリカの国内法に従って裁かれる。アメリカ人に対して犯罪を犯した日本人は、日本の法律によって裁かれる。
○判決に不満がある場合、アメリカ領事館は日本人の上告を、日本の役所は○アメリカ人の上告を受け付ける。
○両国の役人は商取引に介入しない。
これも不平等条約と言われる「領事裁判権」の条文ですが、当時の日本には懲役刑と刑務所がありませんでした。そのため、対外国人に日本人と同様の刑罰を与えると、それこそ不平等になると思われたので、一旦、アメリカ人に対する日本の裁判権を放棄し、条約改定時までには国内の法整備をするつもりだったのでは?と思われます。いずれにせよ、下記の7条で定められた通り、日本国内の狭い範囲しか移動出来ない外国人ですから、発生する犯罪も大した事ではないと思われます。それに、『日本人に対し犯罪を犯したアメリカ人は、領事裁判所にてアメリカの国内法に従って裁かれる。アメリカ人に対して犯罪を犯した日本人は、日本の法律によって裁かれる。』と記載していますから、全く問題無いですよね。
第七條
日本開港の場所に於て亞米利加人遊步の規程左の如し
神奈川 六郷川筋を限として其他は各方へ凡十里
箱館 各方へ凡十里
兵庫 京都を距る事十里の地へは亞米利加人立入さる筈に付き其方角を除き各方へ十里且兵庫に來る船々の乘組人は猪名川より海灣迄の川筋を越ゆへからす
都て里數は各港の奉行所又は御用所より陸路の程度なり(一里は亞米利加の四千二百七十五ヤルド日本の凡三十三町四十八間一尺二寸五分に當る)
長崎 其周圍にある御料所を限りとす
新潟は治定の上境界を定むへし
亞米利加人重立たる惡事ありて裁斷を請又は不身持にて再ひ裁許に處せられし者は居留の場所より一里外に不可出其者等は日本奉行所より國地退去の儀を其地在留の亞米利加コンシュルに逹すへし
其者共諸引合等奉行所並にコンシュル糺濟の上退去の期限猶豫の儀はコンシュルより申立に依て相協ふへし尤其期限は決して一箇年を越ゆへからす
○開港地において、アメリカ人は以下の範囲で外出できる。
○神奈川:東は六郷川(多摩川)まで、その他は10里。
箱館:おおむね十里四方。
兵庫:京都から10里以内に入ってはならない。他の方向へは10里。かつ兵庫に来航する船舶の乗組員は、猪名川から湾までの川筋を越えてはならない。
長崎:周辺の天領。
新潟:後日決定。
但し、罪を犯したものは居留地から1里以上離れてはならない。
10里=4000m、つまり4Km四方より外へのアメリカ人の移動は制限しています。これでは商品の買付も困難です。また、犯罪を犯した者については400m以上の移動を禁じています。これでは領事裁判権が無くても問題無いです。ちなみに同条約の2条で日本人の海外への渡航と移動の制限はありません。
第八條
日本に在る亞米利加人自ら其國の宗法を念し禮拜堂を居留場の內に置も障りなし並に其建物を破壤し亞米利加人宗法を自ら念するを妨る事なし亞米利加人日本人の堂宮を毀傷する事なく又決して日本神佛の禮拜を妨け神體佛像を毀る事あるへからす
雙方の人民互に宗旨に付ての爭論あるへからす日本長崎役所に於て蹈繪の仕來は旣に廢せり
○アメリカ人は宗教の自由を認められ、居留地内に教会を作っても良い。
○アメリカ人は日本の神社・仏閣等を毀損してはならない。
○宗教論争はおこなってはならない。
○長崎での踏み絵は廃止する。
日本人に対するキリスト教の信仰も緩和しているようです。
第九條
亞米利加コンシュルの願に依て都て出奔人並に裁許の場より逃去し者を召捕又はコンシュル捕へ置たる罪人を獄に繋く事協ふへし且陸地並に船中に在る亞米利加人に不法を戒め規則を遵守せしむるか爲にコンシュル申立次第助力すへし右等の諸入費並に願に依て日本の獄に繋きたる者の雜費は都て亞米利加コンシュルより償ふへし
○居留地を脱走したり、裁判から逃げたりしたアメリカ人に対し、アメリカ領事は日本の役人にその逮捕・勾留を依頼することができる。また領事が逮捕した罪人を、日本の獄舎での勾留を求めることができる。
○アメリカ領事は、居留・来航したアメリカ人に対し、日本の法律を遵守させるように努める。
○日本の獄舎にアメリカ人を勾留した場合は、その費用は領事館が支払う。
領事裁判権は放棄しても、治外法権まで認めてはいないようです。
第十條
日本政府合衆國より軍艦蒸滊船商船鯨漁船大砲軍用器並に兵器の類其他要需の諸物を買入れ又は製作を誂へ或は其國の學者海陸軍法の士諸科の職人並に船夫を雇ふ事意の儘たるへし
都て日本政府注文の諸物品は合衆國より輸送し雇入るゝ亞米利加人は差支なく本國より差送るへし合衆國親交の國と日本國萬一戰爭ある間は軍中制禁の品々合衆國より輸出せす且武事を扱ふ人々は差送らさるへし
○日本政府は、軍艦、蒸気船、商船、捕鯨船、漁船、大砲、兵器の類を購入し、または作製を依頼するため、アメリカ人を自由に雇用できる。学者、法律家、職人、船員の雇用も自由である。
○日本政府がアメリカへ注文した物品は、速やかに日本に送付する。
アメリカの友好国と日本の間に戦争が起こった場合は、軍用品は輸出せずまた軍事顧問の雇用も認めない。
海外との戦争に備えての条文だと思われます。
第十一條
此條約に添たる商法の別册は本書同樣雙方の臣民互に遵守すへし
○附則である貿易章程も、本条約同様に両国民が遵守しなければならない。
関税率についは、こちらで締結しています。
第十二條
安政元年寅三月三日(卽千八百五十四年三月三十一日)神奈川に於て取替したる條約の中此條々に齟齬する廉は取用ひす同四年巳五月二十六日(卽千八百五十七年六月十七日)下田に於て取替したる約書は此條約中に盡せるに依て取捨へし
日本貴官又は委任の役人と日本に來れる合衆國のヂプロマチーキアゲントと此條約の規則並に別册の條を全備せしむる爲に要すへき所の規律等談判を遂くへし
○日米和親条約および下田協約の内容で、この条約の内容と異なる部分に関しては、この条約によって置き換えられる。
第十三條
今より凡百七十一箇月の後(卽千八百七十二年七月四日に當る)雙方政府の存意を以て兩國の內より一箇年前に通逹し此條約並に神奈川條約の內存し置く箇條及ひ此書に添たる別册共に雙方委任の役人實驗の上談判を盡し補ひ或は改る事を得へし
○条約内容は1872年7月4日に必要に応じて見直す。その場合には1年前に通達を行う。
領事裁判権を得るため、次回更新までには懲役刑制定や刑務所設立等を準備するつもりだったのだと思われます。
第十四條
本條約は日本よりは大君の御名と奥印を署し高官の者名を記し印を調して證とし合衆國よりは大統領自ら名を記しセクレタリース、ファンスター、と共に自ら名を記し合衆國の印を鈐して證とすへし尤日本語英語蘭語にて本書寫共に四通を書し其譯文は何れも同義なりと雖蘭語譯文を以て證據と爲すへし此取極の爲安政五年午六月十九日(卽千八百五十八年亞米利加合衆國獨立の八十三年七月二十九日)江戶府に於て前に載たる兩國の役人等名を記し調印する者也
○本条約は1859年7月4日より有効である。
○条約批准のために日本使節団がワシントンを訪問するが、何らかの理由で批准が遅れた場合でも、条約は指定日から有効となる。
○条約文は、日本語、英語、オランダ語にて作成し、その内容は同一であるが、オランダ語を原文とみなす。
○本条約を1858年7月29日に江戸にて調印する。
現在のビジネスシーンにおいても通用しそうな契約文章でした。
井上信濃守 花押
岩瀬肥後守 花押
タウンセンド、ハルリス 手記
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