スイッチ
“その、1個、1個、1個 全部スイッチだったとして。なんだか人生じゃん”
伊吹が隊長にそう訴えかけた6話。
3話では、ピタゴラ装置を使って誰と出会うか、出会わないか。と志摩は九重に話をした。
8話で伊吹はガマさんに“いつだったら止めらた?”と問い掛けた。恩師を間違った道に行かないようにいつならスイッチを押せたか。後悔しても、全てタラレバになってしまう。
このスイッチ論が意外と厄介なものなのは自分が自分の意志で押したものだけじゃない事。気付かない内に勝手に押されてるものも山のようにある。
ガマさんの奥さんが事故で亡くなった頃、機捜に異動したばっかりでガマさんと会って話す時間もなかった。
タラレバ論で、伊吹が機捜に呼ばれていなかったらガマさんを救えたのか…。という1つの別ルートを考えたが、あの轢き逃げは絶対に起きてしまう。最初は記憶が無くなっていたガマさんが薬を飲んで記憶が戻って、事のあらましを伊吹に話したとする。果たして、伊吹はこの話を警察にちゃんと話してちゃんと裁いてもらおうとこの時に言えただろうか…。交番勤務に飛ばされる前、被害を受けたのは自分でも自分の親しい人でもないであろう事件での、クソみたいな犯人をタコ殴りにして拳銃を抜いて“もう撃ってやろうかと思って”と言った男が、自分の大事な大事な恩師の大切な人を奪ったクソみたいな犯人、居なくなった方がマシと、彼が罪に手を染める姿しか私には想像できない。どっちみち、誰かが罪に手を染めてしまう結果になるのではないかと…思ってしまう。
要は5話で志摩が言っていた“詰みゲー”だ。
このスイッチの複数個がうまく作動すると最悪な方を選んでしまった…と絶望の淵に立たされていた状況が希望に傾く事もある。
MIU404の中にはそんなスイッチが沢山散りばめられていて、そのスイッチ全てが正しかったのか間違えだったのか、善なのか悪なのか判断ができないモノばかり。その直後に起きた事だけを切り取れば間違えだったスイッチもその数個先の分岐点を通過した様子をみれば正しいスイッチに変わってるときもある。1個のスイッチが人生な訳じゃない。1個、1個、1個、全部スイッチで何個も何百個もあるスイッチを纏めて人生なんだ。
ガマさんの最悪な事態を止めるスイッチは押せなかったかもしれないが、これから先、伊吹にしかおせないガマさんのスイッチが有るのではないか…。(と、思ってないと8話が絶望的すぎて伊吹が救われなさ過ぎて、私の心まで砕け散っちゃう)
第四機捜を立ち上げると桔梗さんが言ったことで始まったMIU404のスイッチ。
恐らく、まめじが刑事局長にごますりをする為に四機捜承認と引き換えに出した条件。“九重を第四機捜に入れる”これも、またスイッチ。
九重を入れたことで、九重のバディが陣馬さんになり、そうなった事で志摩のバディが居なくなった。暫くまた運転手でも...と言ったが、現場に出たい志摩は『虱潰しにあたれば!!』と言い、候補段階で落とされた人物を呼びましょう!とスイッチを押した。
『機捜に向いてなければ次の異動で奥多摩に返す』その判断を志摩に一任したのも、また1つのスイッチ。
1話だけで考えてもスイッチは書ききれないほど山のようにあって、その中で九重も伊吹も勝手にスイッチを押されて勝手にコース選択をされている。知らないトコでどんどんスイッチは押されて進んで行く。(知らないトコで押されてたスイッチでさえも自己責任です。って切り捨てられたら私はつらいなぁと思うのですよ、3話の九重くん。)
ただ、勝手に押されたスイッチも幾つもに重なって良い流れになっている(この際8話の伊吹のスイッチに関しては一旦置いといて)と、思う。例えばきゅーちゃん。彼はある意味レッテルを貼られている。“刑事局長の息子”その言葉を警察学校に入った時から言われてたであろう。九重自身が優秀で頭が良くてキャリア組として卒業したとしても、周りからの目はきっと“刑事局長の息子だから”という目で見られたであろう。ある種伊吹の学生時代と重なるものが有るのかもしれない。
“ゴマをする者もいれば目の敵にする者もいる”九重の父が言った言葉が全てであろう…きっと彼はそんな周りに嫌気が差してナメられないように、ゴマすりされて付け入られないようにツンケンしてるのであろう。四機捜に入った事で、徐々に四機捜のメンバーやバディである陣馬との関係が変わって行き、人との向き合い方が変わってきた。勝手に押されたスイッチは、彼が警察官として、また一人の人間として、世界が広がり価値観が広がり、良い変化をもたらしたのではないだろうか…。9話は、九重は押せなかったスイッチをもう一度どうにか押せないか奮闘する回(恐らく)
四機捜に来たこと、陣馬とバディを組んだこと、ポンコツバディとして伊吹と志摩の過去を調べた事、伊吹の相棒への、一個一個のスイッチへの真っ直ぐで熱い気持ちを聞いた事、陣馬に何でもおおっぴろげに言えるようになれ。と言われた事。彼が押されたスイッチは彼の未来にどう繋がるのか…
“誰と出会うか出会わないか”
それだけでは片付けられない、このスイッチ論。
何が正しくて何が間違えか、何が善で何が悪なのか、私達は判断が出来ないモノばかり。
私達も毎日の生活の中で自分でスイッチを押したり誰かにスイッチを押してもらったり、知らないところでスイッチを押されてたりする。そのルートで何が出来るか何が出来ないか、別ルートに行ってれば何が変わっていたのか、私達はタラレバを並べながら、後悔しながらも前に向かって走るしか出来ない。そして未来にある自分が押せるスイッチを、一個一個大切にするしか出来ないのだなと、ある意味人生論を教えてくれるドラマだなぁと深読みをしとります。
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