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図工では模写が得意だった

先日ふとしたタイミングでそんなことを思い出した。

サルバドール・ダリ「記憶の固執」

そう、時計が溶けたようなあの絵だ。ダリの絵を何枚か描いた気がする。当時は割と得意げに描いていたと思っていたのだけど、あれは単純に僕自身が模写しかできないクリエイティビティのない人間だということから目をそらしていただけだったよなぁと、なんとなくつながってしまった。

自分のやり方で何かを生み出せる人は凄い。絵が描けるとか、文章が書けるとか、音楽や詩もそうだ。無神経に尊敬していたと思う。自分にはそういうことが出来なかったから。

あのつんくがnoteを始めた。

その中でこんなことを書いている。

天才じゃない人間がヒット曲を出すコツは、いたってシンプル。とにかく数を作ることです。結局、自分の打率が1%なら、数を打つしかないってこと。

これは、リバネスを初めてから数年して感じたことと同じだった。とにかく数を作ること。それしかない。今やってるIT周りの仕事だって、とにかく色んなことをやりまくった結果、というよりやり続けられた結果だったと思う。誰が求めるからとかそういうことじゃなくて純粋にやり続けてきた結果が今につながっている。そんなことを考えていたら、子供の頃に勝手に尊敬してきたその人達は、僕がその当時やらなかった何かをやり続けてきた人だったんだろうきっと。

答えのないキャンバスの上でもがく

最近のnoteではTableauという分析ツールの話を多く書いている。その前はSalesforceに関するものが多い。Einstein AnalyticsというBIツールの話もかなり書いたと思う。

これらに共通するのは自由度の高さだ。

真っ白なキャンバスと言っても過言ではない。

キャンバスと、そこにのっける絵の具(Data)、そして筆(ツール)があるだけだ。

自由度の高さは人を苦しめる。制約がないところに何かを積み上げていくのは取っ掛かりがなさすぎて難しい。この難しさのことを「うまく使いこなせてない」と言っているのかもしれない。

幸いなことに、僕は比較的うまく使えている方らしい。この一年でデータの整理もほとんど終わり、データが入ってくる入り口もどんどん整備が整っている。

事例を参考にして作り上げるのは模写と同じだが、ビジネスで結果を出すにはクリエイティビティが必要になる。事例の模写は筋トレのようなもので実践のためには圧倒的な工夫が必要になることが多い。一歩進んだと思えば、基礎体力(Data)に抜けがあって0からやり直しということも少なくない。一朝一夕には行かないし、データが蓄積するためには時間が必要なことだってある。待つしかないと言うようなこともあったりする。色々なパターンがあるのだ。でも、そういう試行錯誤の連続の先に今がある。今だからできる他の人では出来ないことを生み出すことが出来たりする。

思えば僕は模写の段階で諦めていた。その前後にある試行錯誤に手を出す前に出来る人を勝手に凄いと尊敬して自分はその土俵に上がらなかった。

それは早すぎたんだよなと今なら分かるなぁ。

noteにはこれまでの経験を綴っていこうかと思います。サポートによって思い出すモチベーションが上がるかもしれない。いや、上がるはずです。