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アドラー心理学の本「嫌われる勇気」をオススメできる人とできない人の違い

仕事がうまくいかず、抑うつ状態で苦しんでいるときに、先輩からこの本をオススメされました。


読みながらリアルタイムの感想はこちらのTogetterにまとめてあるので、既に読んだことのある方はこちらを見ていただくのが良いかもしれません。


この記事では、この本をまだ読んだことがない方に向けて、何が得られるのか、誰に向けられたものなのか、を要約したいと思います。


感情から抜け出したい人へ

この本を読んで救われる人というのは、何らかの感情(劣等感や憎悪やトラウマなど)が抑えられずに抑うつ状態となっており、そこから「抜け出せない」と感じている人だと思います。

そのために、感情に対するスタンスとして根本的な転換を迫ります。それが感情の「原因論」ではなく「目的論」です。

感情には「目的」がある、という考え方

例えば、会社で理不尽にひどく叱られて、それがトラウマとなり、会社にいけなくなる、という精神状態があるとします。

フロイト的(この本でアドラーは、度々フロイトの精神論を「原因論」として対比するように持ち出しています。私自身はフロイト心理学には詳しくないのでわかりません)には、これは正しい反応です。トラウマの原因となる事柄があり、精神が傷つけられた状態です。

しかし、その「原因」が過去にある限り、それを「トラウマを受けた人自身が覆す」ことは原理的にできません。これが、感情と原因を強く結びつけてしまう事の罠です。これを解決するには、そもそもトラウマの原因となる人や連想される事柄(要は仕事)から完全に逃げ出してしまうか、その原因となる人が改心するなど、リスクを伴ったり他人の心のあり方に問いかけたりなど、非現実的な方法となってしまいます。

そこでアドラーはまったく逆の考え方をします。

「あなたが抑うつ状態なのは、そもそもあなたには仕事に行きたくない、怠けていたいという目的があり、そのために感情を利用している」という捉え方です。原因となるトラウマは既に感情の主要な原因ではなく、それによって得られた状況を再現して安心したいがために、同じ感情を何度も使ってしまうのだと。

そのため、「怠け続けているのは自分の真の目的ではない」と思えるのであれば、アドラー心理学を使って「他人がどう思ってようが、それはコントロールできないので、自分は自分の考えるやり方で他人に貢献しよう」とすることで、誰もが幸せになれる……めでたしめでたし、となるわけです。

「承認欲求を捨てろ」という結論

さて、読み終えて、私はこの本の結論にそれなりの納得を得ました。究極を言ってしまうと

他人に期待するのが間違い。承認欲求を捨てて、自分が考える方法で他人に貢献しよう」

となります。確かに、承認欲求を完全に捨てることができれば、その精神的な境地というのは幸せと言えるかもしれません。著者も、その状態を会得するには「今までの人生の半分ほど時間がかかる」と表現しています。これは「誰でも今この瞬間から幸せになれる」という売り文句が誇大広告であった事を自ら認めているとも言えるでしょう。

私は、承認欲求を捨てることが人類の幸せへの道、というのは承服しかねます。それは社会的な生命体である人類の基本的な欲求だからです。しかし、個人レベルで幸せを目指すには、時にそれを無視して自分の本当の目的と向き合うべき、というのは指針として役立ちます。


以下、この本がオススメできないと考えられるパターンをいくつか列挙します。揚げ足取りのようになってしまうかもしれませんが、抑うつ状態の人に勧めるには、いくつか注意ポイントがあると感じました。

オススメできないパターン1:トラウマができたばかりの人

感情には、原因もあって目的もある。両方あると考えるのが自然です。

アドラーは、「目的だけから感情はできている」とでも言いたげですが、それは「感情をうまくコントロールしたい」という立場からのポジショントークであって、実際、感情が出てくるのは原因があります。本当に傷ついたばかりの時に「お前が傷ついてるのは怠けたいからだ」などと言われたら、「いや、今まさにショックで傷ついてるんですけど!?!?」となるしかないでしょう。

従って、感情を制御しようとするのは、そういった原因がもうなんだかよくわからなったり、もう忘れたいと思っていたり、認知の歪み(誰からもはっきりと言われていないのに、役立たずとか嫌われているとか思ってしまう)を感じるようになってからでいいと思います。誰でも、傷ついたばかりの時は落ち着けるための時間が必要です。失敗をした直後から復活して幸せに貢献する必要はないと思います(その精神状態になれたら強いですが)。

オススメできないパターン2:逃げ場が無い人

この本の終盤では、「より大きな共同体の声を聞け」という目標が提示されます。若干スピリチュアルに近い印象を受けますが、私はこれより以前に「会社のためじゃなくて、人類のためになることをしよう」として鬱を回復できた経験があったためにすんなり理解できました。その広げ方をどこまでにするかはその人次第ですが(アドラーはあらゆるモノ、宇宙全体に拡張可能みたいなぶっ飛び方をする)、今いる狭い共同体で自分が貢献できないのであれば、より広い別のところへ視野を向けることで貢献できる可能性が多く残されています。

……というのは、綺麗事としてはそうなんですが、実際のところ、誰しもこういった「より大きな共同体で役立てる場所」が用意されているとは限らないのが現代です。私はそういう意味ではほとんど幸せ者と言っていい身分なので、特定の会社でどんなにボロクソでも、ある程度自分を持ち直すリソースがあって良かった、と思っています。

しかし、支えてくれる人もいなければ、他の会社に転職するのも難しい、家族からも見放されている、なんて人がこういう理想論を読んで「んなもんあるわけねーだろ!!」と逆に追い詰められる事は想像に難くありません。実際私も、一旦は仕事が完全に途切れることになったので、いろいろ余裕がなかったらどんな決断をしていたかわかりません。

抜け出せなくて本当に困っている人はこんな理想論じゃなくて、国の支援策など、病院に行ったり会社を休んでも守ってくれるはずのセーフティネットの情報について知るほうが何億倍もためになると思います。

それ以外の人にはオススメ

トラウマや劣等感から抜け出せないでいる人や、抜け出すためのリソース(応援してくれる人や多少の貯金)はあるはずなのにそれを使う決断をできずにいる人には、是非読んで、勇気を持って自分なりの貢献の場を見つけてほしいと思える一冊でした。

読書が苦手な私も1日で読み切ってしまうくらい読みやすく、面白い本でもありました。


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