死にたいという病

自分でも何でなのかわからなかったが、「死にたい」というのが口癖だった。

本心からそう思っているわけではない。はっきりいって死ぬのは怖い。なのにふと口に出してしまうので、我ながら気持ち悪かった。

基本的なスタンスとして、つねに自分にダメ出しをしながら生きていた。いやなことがあったときのみならず、何もないときでも、つねに過去の失敗を、あるいははたして失敗なのか判じ難いくらいのささいな出来事を、何度も思い返しては、自分を責めるのに使う。定期的に「自分なんてダメだ」という否定的な想念に圧殺される日々。

そのときに、口から出てくるのが「死にたい」だった。

おかしいなあ、ぜんぜん死にたくなんてないのになあ。

突然、目の前の人が「死にたい」なんてつぶやいたら、ぎょっとするよな、と思う。一度仕事の打ち合わせをzoomでやっているときに、ふと口から出てしまい、マイクがミュートになっていなかったので慌てた。マジやばい人じゃん。

こんな口癖はやめたい。

すると、ある朝目覚めた時に、唐突に降ってきた。なんでそんな不穏なことを口走ってしまうのか、その理由が。

自分の中には、おもに母親の価値観や思考回路を備えた気まぐれな裁判官がいる。そいつは、わたしの一挙手一投足を見張っていて、ダメ出しをする。ダメ認定したことをねちねちといびる。責めて責めて罪悪感をいだかせる。嫌な気分にさせる。悪いことをしたのだから、嫌な気分にならなくてはいけないのだ。それは罰だ。

それで、「死にたい」というところまでいく。死刑ということだ。自分の中の、悪い自分を死刑にして、もうそんな子はいません、ということにする。それでも、依然として変わらぬ自分はそこにいるし、都合よく排除できないことも重々承知の上での自己欺瞞。

自分の理想通りでない自分、失敗した自分、醜い自分を全否定して、「そんなの、わたしじゃありません」という態度をとりたい。そういう心理状態が、「死にたい」を言わせていたのだと思った。

冷静になればわかることだが、「これが自分」と思い込みたい自分像はまやかしであって、幻想であって、イリュージョンであって。実際の自分以外「ほんとうの自分」なんてものはない。

ようするに「これがわたし」と認める勇気、とでもいうべきか。自己啓発でもスピリチャルでも、「ありのままの自分を認めよう」「受け入れよう」というようなことはよく言われるわけだが、それってこういうことかと、腑に落ちた。

そのあと、何日もたつあいだに、「死にたい」と言ったり思ったりするたびに、これは何を「認めない」ということなのか? と考え直すようにした。

たとえば、あるとき「よけいなことを言ってしまったかな?」とあとから思い返して、「死にたい」が出てくる心境になった。これはつまり「不適切な発言など絶対にしない自分」が「ほんとうの自分」で、よけいなことを言ってしまう自分を切り捨ててようとしているんだと認識。「不適切な発言は絶対にするべきではない」という裁判があったなと気がつく。

しかし、そんなことは言わない方がよかった「かもな」くらいのことは、いちいち、「ほんとうに言わない方がよかったか」を検証できない。一応「やっぱり言わない方がよかった」としても、「人間だったら、失言することだってあるよね」という考えもある。

かといって、「受け入れる」というのは、どんな悪いことをしても、いいよいいよ、しかたないよと開き直るということじゃないとも思う。「人間だもの」は名言だが、ダメなときはダメということもある。そんな時に「こんなのはほんとうの自分じゃない」と抹消しようとしても無駄なんだ、ということ。ある種の諦観といえる。

たとえ、何をやらかしたとしても「それが自分」なんだ。

やらかしたことを、くよくよめそめそしたり、凹んだり、落ち込んだりすることは、本来、真に向き合うべき問題から目を逸らす現実逃避行動なのだろう。

やったことは、やったこととして、「そのあとどうするか」(「どうなりたいか」)を考えたほうがいい。

そんな風に、毎日ちょっとずつ、切り捨てられていた、殺されていた「ほんとうのわたし」を取り戻していたら、だんだん「死にたい」発言が減ってきた。

かつて、否定していた自分を取り去ったあとに、残るべきだと思っていた、理想の「ほんとうのわたし」を詳述すると笑える。

ほんとうは、もっとセルフコントロールができて、決めたことは全部やり遂げられるし、スタイルもいいし、見た目も若くて美しいし、頭もいいし、人間性も豊かで、前向きで、人にいやなことは絶対にしない。運動も得意で、9頭身で、ダンスがうまくて、歌がうまくて、神絵師で、人気漫画家で、人気YouTuberで。

うーん。

そんなイリュージョンと現実が食い違っているからって、いちいち凹んでるのって、意味なくない? と、書いて形にすると馬鹿げていることがよくわかる。

こうでありたい自分と、現時点の自分とのギャップに耐えられず、「こんなのは自分じゃない」と、現実逃避して妄想にすがることは、逆に「こうありたい」姿になるのを遠ざける。

このへん、願望実現の法則とか潜在意識とかかかわってくると思うので、まあまた別途言及していこうと思う。

とりあえず「死にたいという病」は寛解したかな。

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