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パリ・オペラ座の日々1993~1994

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1993年3月から翌1994年2月までフランス・パリに遊学した一年間の記録です。パリ・オペラ座バレエ団の公演を中心に、一年間で約60回のバレエ公演を鑑賞しました。その体験を中心に… もっと読む
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2020年3月の記事一覧

パリ・オペラ座の日々1993~1994:3月27日 パリへ出発

1993年2月19日で会社は退職。結局、有給消化で3月いっぱい働いた扱いになってお給料頂きました。それだけ有給なんてほとんど使ってなかったってことです。この当時はこういうの当たり前でした。 上の写真は当時の東京のアパートで。笑顔は仕事を辞めた解放感かな(笑) ここからの約一か月はずっと渡航のための準備に追われることになります。 序文でも書きましたけど、フランスの住まいの手配、お金の配分、日本のアパートの退去と家財道具の処分、ビザのこと、航空券… 課題山積でもう二人と

パリ・オペラ座の日々1993~1994:3月31日 在仏日本人会

3月31日(水) 朝7時半起床  9時30分 前野氏の所へ住民票の仏語翻訳を受け取りに行く。綺麗にできていたが高額を取られた。 無事完了したので、ほっとしてシャンゼリゼを歩く。シャイヨ宮まで歩いて15時頃帰宅。👩疲れたのか21時くらいまで寝る。まだ時差ボケ。👨資料の整理など。 今日は日本人会(当時はシャンゼリゼ沿いの建物にあった)にも行ってみた。おのぼりさんの観光客をたくさん見て、少し元気が出て来た。 住民票翻訳 426F 昼食 クロックムシューなど 37F ハーゲンダッ

パリ・オペラ座の日々1993~1994:3月30日 郵便局、Mme.Labeiley

(これはもう翌年の日付だからたぶん荷物を発送した時のレシート) 3月30日(火) 昨日買った枕とブランケットのおかげでよく眠れた。 朝6時 起床。朝食の後また寝る。 AM11時 フレデリック来る。再度一緒に銀行に行き手続きを進めた。 PM1時 郵便荷物第一便届き、受け取りに行く。 夕方、マダム・ラベイリーから合い鍵を受け取った。 郵便第一便受け取りTax 33F カルネ 3F Cafe 4F 駅前スーパー(石鹸他) 37F 肉屋(ハム、卵) 12F 近所のスーパー(

パリ・オペラ座の日々1993~1994:3月29日 初オーシャン、初SG

(僕たちが住まいを構えたサン・マンデの地図) 東京→パリの移動翌日。長距離の移動と時差ボケで疲労困憊していたものの、まず生活の基盤を整えねばならず、早速あれこれ動くことになりました。 3月29日(日) 朝5時起床。二人とも時差ボケで体調不良。AM11:00にLeroy氏来る。各種説明受ける。PM3:00に再度Leroy氏来て、銀行、ショッピングセンターに連れて行ってくれた。口座開設の手配を行った。 スーパー買い物 86F 毛布・マクラ・スリッパ 266F パン 4

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ⑦今後の連載の進め方

さて。長い序文でしたが、27年前に僕らが体験した1年間のパリ滞在日記をスタートさせたいと思います(まだ始まってなかったのかよ!( ̄ー ̄)。) (そしてまだここで序文が続いてる…笑) バレエという要素を抜きにしたら、ごくごく平凡などこにでもある海外滞在記でしかありません。語学がお粗末でしたから交友関係もほんの少しでしたし、美術館、レストラン、ヨーロッパ域内旅行なども20代後半の未熟な知識と資金力では限界がありました。今から振り返ると後悔ばかりです。 いや、後悔なんて本当

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ⑥バレエについて

↑帰国後1998年池袋・セゾン美術館でのディアギレフ展 帰国後もバレエはずっと大好きで今も関心を持ち続けています。 ここで少しバレエについて書いてみます。 一年間のパリ滞在の目的は、ざっくり考えるとヨーロッパ文化を見て、体感して、学ぶこと。教養も知性もお粗末だった僕らですが、それでもクラッシック・バレエへの情熱は並々ならぬものがありました。 現在はずいぶん状況も変わったと思いますが、1980年代末に身近な友人にバレエの話をすると、男性なら「あのモッコリの白タイツね・

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ⑤フランス語はどうなのよ?

正直に白状します。じつは二人ともたいしてフランス語できません(笑) 正確に言うと、”当時は”二人ともたいして喋れなかった。でもその後妻はずっとフランス語の勉強を続けていて、今はずいぶん読み書きできるみたいです。僕の方はすっかりご無沙汰してしまって、もう綴りもほとんど忘れてしまいました。 英語でもフランス語でも事情は同じだと思いますが、近所の人とちょっとした会話をするとか、市場で買い物するなんてのは大丈夫なんです。だけどテレビのニュース番組を聴きとったり、フィガロの記事

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ④アパートの手配

↑キッチンの部屋からサロン方向を。 当然のことですが事前準備に最も労力を費やしたのはアパート探し。前回書いたようにOVNIという日仏情報フリーペーパーの不動産コーナーを頼りにしていました。2週間に一度の発行なので情報の鮮度も比較的良かったのです。 シャンゼリゼ界隈やシテ島のような中心街である必要は無いですが、あまり郊外になってしまってオペラ座や美術館への交通費がかさむようでは困ります。二人で住むのだからある程度の広さも必要。屋根裏部屋(使用人を住まわせていたスペー

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ③具体的な準備作業

前回の記事はこちら↓ 1993年1月初旬には、3月末に出発してパリに1年間滞在することが本決まりになりました。会社にも退社の意向を伝え、計画は具体的に動き始めました。 やるべきことは山のようにありました。次から次へと課題が湧き出て来て、あっという間にてんてこ舞いの状態になりました。その頃の状況をひとつひとつ詳細に説明するのはとても難しいように思うので列挙してみます。 A:国内向けの対応 ①会社を辞める 2月末の退社意向を伝えたところ、山積した有給休暇の消化のために

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ②旅行なのか、移住なのか

序文①はこちら↓ 1992年の秋、3年間勤めた会社を辞めて家業の石膏像工房を継ごうかと考え始めました。93年の春までに会社を辞めて、実家での仕事を開始する前にバブル時代に貯めた貯金を使って長期間の海外旅行に出掛けよう。その意志を石膏像工房を経営する両親に伝えたところ、ある程度の期間の猶予はよかろうという返事でした。 妻と僕はともに27才くらい。それまでに何度か経験した海外旅行での「不完全燃焼」感が根底にありました。当時の僕たちは、米国や南の島のリゾートよりも、圧倒的に

パリ・オペラ座の日々1993~1994:  序文 ①遠い太鼓が聞こえてきた

遠い太鼓に誘われて 私は長い旅に出た 古い外套に身を包み すべてを後にのこして (トルコの古い唄) これは1990年に出版された村上春樹さんの紀行文集「遠い太鼓」の扉の一節。当時すでに人気作家として押しも押されぬ存在になっていた村上さんは、日本での喧噪を避けるように1986年秋から1989年まで海外に移住して、イタリア、ギリシアを転々としながら執筆活動をしていました。その間に書き溜めたエッセイ的な文章を集めたのがこの本。 全てはこの本から始まったんだと思う。