『星座になりたい』歌詞考察

 私は虹夏みたいに面白いことは言えないので、挨拶は省略していきなり本題に入っていきます。『星座になりたい』は、おそらくぼっちちゃんから喜多ちゃんに対して抱いている感情の発露だと思います。それを前提に歌詞を見ていきます。

もうすぐ時計は6時
もうそこに一番星
影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道
どんなに探してみても
一つしかない星
何億光年 離れたところからあんなに輝く

 6時。一番星が出てくる時間。目立ちたくないから、暗い所を選んで帰りたくなる。だけどあの子は、一番星みたいに輝いてる。きっと彼女ほど愛されている人は他にいない。私と彼女の距離は、どれだけ離れているのだろう。

いいな 君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

 いいな。あんなに友達がいて。皆から愛されて。私はきっと誰とも話せないままなんだ。だって話しかけることなんてできないから。

君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような
つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

 でも、あの子とバンドが組めたら。一瞬だけ頭を過った。その願いが心の中で眩しく、ここにいるって主張してくる。
 あの子とバンドが組めたら。誰かが憧れて指を差してくれるようなバンドになれたら。声をかけずにいられなかった。私がもしあの子の一番星のような輝きを消してしまう。そんな存在でも。どうか一緒に、このバンドで。

もうすぐ時計は8時
夜空に満天の星
何億光年 離れたところにはもうないかもしれない

 8時。夜空にはいつの間にか星が散らばっている。綺麗だと、羨ましいと思っていた沢山のことは、本当は大したことないのかもしれない。だけど。

月が綺麗で 泣きそうになるのは
いつの日にか 別れが来るから

 私は、あの子が好き。結束バンドが好き。皆が好き。それは幻影なんかじゃない。でも。だから。このバンドと、彼女たちと、いつか道を分つことを考えると泣きそうなくらい胸が締めつけられる。

君と集まって星座になれたら
彗星みたい 流れるひとりごと
消えていく 残像は 真夜中のプリズム
君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

 あの子とバンドが組めたら。運命めいて結ばれる、そんな星座になれたら。流れ出たひとりごとは、夜に溶けて消えた。心にしこりを残して。でもそのしこりはきっと、捻くれた私の性根に残った真っ直ぐな光だった。
 あの子とバンドを組んだら。そして私の願いが聴いてくれる人に届いたら。陰キャの私でも変われるかな。誰かと手を繋ぎ合うことをちゃんと理解していない、そんな私でも。

遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ
雲の隙間で

 星と星は見かけよりもずっと遠くにある。それでも私たちは出会ったんだ。心を開いて。光を遮るものがあったとしても、同じ鼓動の音を目印にして。

君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事
暗闇を 照らすような 満月じゃなくても
だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

 あの子とバンドが組めたら。いっぱいの夜空に星座を、絵空事を描こう。
 私は、喜多さんとバンドが組みたい。皆の個性が輝くような、そんなバンドを。叶えるんだ。絵空事を。だから私は喜多さんと一緒にいたい。たとえ喜多さんがどれだけ私と違う、眩しい世界の人だとしても。


 以上がだいたいのぼっちちゃんの心情イメージです。ちょくちょくバンドのタイトルが入っているのがオツですね(『夜の淵』『遥か彼方』『カルマ』など)。曲を抜きに考えた時と曲を踏まえて考えた時で少し解釈が変わりそうです。
 『夜の淵』はRADWIMPSの曲です多分。「僕がどんなに眩しくても」なんかは「もう少しで朝がくる 眩しいほどの光連れて」を踏まえた、星の光を消すような邪魔ですらある眩しさなのかなと。そして『夜の淵』の全体的な内容を雑にまとめると、《星や星座は運命めいて美しい。だけど僕たちはもっとお互いを近くで想いあえる。》みたいな感じだと思います。この曲をぼっちちゃんは知っているし、良い曲だと思ったのでしょう。だけど、歌詞として知っているだけ。「うわべをなぞった」だけなのです。互いを想いあう青春は体験しまことがない。なぞっただけ。そんな私でも、変われるだろうか。そんな意味なのではないでしょうか。
 『夜の淵』という歌を踏まえずに解釈すれば《夜の淵という端っこの所をなぞるようにずっと存在している陰キャな自分でも変われるだろうか》という感じに読み取れます。
 『遥か彼方』はアジカンでしょう。アニメ第1話、第12話のタイトルがアジカンだったことからも好きなのでしょうかね。
 「心をそっと開いて ギュっと引き寄せたら 届くよきっと伝うよもっと」とか、「君じゃないなら 意味は無いのさ」みたいな部分が含まれているような気がします。
 『カルマ』はいくつか曲がありますが、BUMP OF CHICKENでしょうか。
「必ず僕らは出会うだろう 同じ鼓動の音を目印にして ここに居るよ いつだって呼んでるから」
とか、
「重ねた理由を二人で埋める時 約束が交わされる」
とか、
「ここに居るよ 確かに触れるよ 一人分の陽だまりに 僕らは居る」
らへんが該当しそうです。最初の部分は純粋に必ず出会うというカルマの話と、結束バンドという同じグループを目印にしているということ(深読みしすぎには思いますが、文化祭ライブ前にぼっちの鼓動がリョウに【ドラム】と称されていました。歌詞の鼓動をドラムと捉えてみると《喜多ちゃんもぼっちちゃんも虹夏がいたから結束バンドに集まれた》という意味にも取れます)ではないでしょうか。
 2個目の引用部は、ギター(多分リードとリズムという違いはあるのでしょうが)というパートを重ねている、、、とか?
 3個目は結束バンドという1つの陽だまりに2人がいることを指していそうです。
 以上、結束バンドというカルマによって出会うというパートだったように思えます。


 まあ、私は別にバンド好きではないので解釈は話半分くらいに聞いておいてほしいところです。詳しい人には敵いません。これを機にバンド色々聴いてみようかな。

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